場づくりとコスモス
以前投稿した記事の内容につながるところもあるのだけど、コスモスを育てていて気がついたことがある。
シェアオフィスco-ba kamaishi marudaiの裏は、登りの斜面になっていて、最初は竹が生い茂る薄暗いスペースだった。
斜面の上に空き地があって、そこから私道を通って、国道まで出られる。
仲見世通りの裏通りという感じで、周辺住民は散歩道として利用したりしている。
去年の末に、その空き地まで、竹を切り開いて、木の板と木杭で、山道にあるような階段を作った。
階段を作ると、劇的に環境がよくなり「これは土地区画整理事業で、密集住宅地に道路を通すことに似ている」と書いたのが、以前の記事だった。
今回は、その後、階段の脇に育てているコスモスの話ということになる。
コスモスを育てるのには、紆余曲折あった。
鹿に食べられ、一時は全滅したかと思ったこともあったが、なくなった中心の茎から脇芽が出てよみがえった。
普通に成長した場合より、むしろつぼみが増えたようにも思う。
そのたくさんのつぼみが次々と花をつけ始めたのが、8月の中旬。
秋桜というから、秋に咲くと思っていたのだけど、意外に早かった。
とはいえ、9月の中旬となる今も、たくさん咲いているし、これから咲くであろう、つぼみもまだまだたくさんあるので、やはり最盛期は秋ということになるのだろう。
花が増えてきた8月の後半になって気がついたのが、蝶や蜂、名前もわからない羽虫、小さい甲虫があつまってきていることだ。
単に蝶と言っても、種類はさまざまで、アゲハ蝶、モンシロチョウ、モンキチョウなどのメジャーどころ?以外にも、名前も知らないいろいろな蝶が観察できる。
蜂にしても、ミツバチも来れば、あまりありがたくはないけどクマンバチもやって来る。
それを狙って、カマキリも現れる。
こういう光景を見ていると、なんだか不思議に思う。
僕が種をまいて、たまに水をやったり、剪定したり、雑草を抜いたりして育てたものなのに、それが花をつけると、餌を求めて、予期せぬさまざまな生き物が集まってくる。
小さな存在である僕が、この大きな世界に影響、それもいい影響を与えているように思うのだ。
直接的には、蜜を餌にする生き物のエネルギー源になる。
蜜を食べる生き物を狙って、カマキリのような捕食者が現れるのも、食物連鎖の一部だ。
もしかすると、ミツバチが養蜂場に蜜を持って帰って、はちみつになるかもしれない。
そうすると人間の食べ物にまでなってしまう。
そして、その影響は、ともすれば僕の知らないうちに発生している。
そういえば、同じような気持ちになったことがあった。
僕が作ってきたものが、ある意味「完成」すると、なにかが集まってくるということ。
シェアオフィスという「場」を作ったことによって、仲見世に人がやってくるようになったことだ。
会員や、1日利用者、貸切会場として利用する人、そのイベントに参加する人。
見学者もいる。
見学者は、市外や県外からもやってくる。
僕が知らないうちに会員や、管理人であるコミュニティーマネージャーが連れてくることもある。
一部の会員が、その「場」を足がかりにして、ゲストハウスやカフェなどの新しい場を作り、さらに集まる人が増えた。
最初の「場」であるシェアオフィスがなければ、それらは出来なかっただろう。
僕はそれほど社交的なほうではないし、人徳があって、周りに自然に人が集まるというタイプでもない。
人を集めることは難しい。
イベントではいつも集客が課題で、思い通りに人が集まることは少ない。
ところが「場」を作れば、それほど働きかけをしなくても、向こうが見つけて集まってくるようなのだ。
花を育ててみてわかったが、花というのは種をまいて放っておいたら、勝手に綺麗に咲くというものではない。
芽が出たら、適当な間隔になるように間引く。
余分な枝を切る。
日照りが続けば、水をやることもあるし、液体肥料もたまに与える。
雑草が生えてきたら抜く。
これは栄養を取られないためでもある。
花が咲き始めると、これがまた意外に忙しい。
数日でしぼんでしまうので、それを放置すると見た目が悪くなるし、種をつけることにエネルギーを使うと、花が少なくなるので、しぼんだ花はすかさず摘んでしまわなければならない。
これはほとんど毎日の作業となる。
出来るだけ「インスタ映え」の状態にしたいのだけれど、なかなか難しいのだ。
風が吹いて倒れることもあるので、そんな時は支柱を添える。
そうして、コンディションのいい花をたくさん咲かせることで、虫もさかんにやってくるようになる。
これは「場づくり」に通づることではないだろうか。
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