見出し画像

これからのトイレ

トランスジェンダーの男性が、どのようなトイレを使うかということに関して、議論が起こっている。

LGBT法案の成立や、経済産業省の男性が、女性のトイレを使うことに対して制限をするのが違法であると、最高裁での判決がでたことがきっかけになっている。

LGBT対応のトイレ(ジェンダーレストイレ)については、以前の投稿で、触れたことがあった。

現代のトイレのありかたは、必ずしも完全なものではない。

男子トイレと女子トイレが部屋として分かれており、その中にさらにブース(個室)があるという形態は、昔からそうだったわけではないし、外国でも事情が違ったりする。

現代の日本人が今のような形態に慣れて、それが正解だと思っているだけであるという話であった。

さらに例を挙げるとすると、こういうこともあった。

大学生の時(約30年前)、安いスキーツアーで泊まった宿は、男子トイレと同じ構成のトイレが男女共同になっていて驚いた。

男が小便器を使っている後ろを女性が通って、(男からすると大便用の)ブースに入るのである。

同じ投稿記事にもある通り、すでに当社では県立高校の改修工事で、ジェンダーレストイレの設計を手掛けている。

それは男子トイレと女子トイレが部屋としては分かれておらず、ブースの代わりに小さくて閉鎖的な部屋があるという形態である。

自分で考えたわけではなく、国から示される指針のようなものがあって、それに従って作ったものだ。

従来のブースは、ブースの壁全体または、ドアの上部、下部が開いているが、こちらはどこも開いていない。

従って気配や音もわかりづらい。

男女どちらでも同じように使うことになるので、、LGBTの男女が違和感なく使うことが出来るし、密閉性が高いので女性も安心というわけだ。

これで一見、問題ないように思えた。

しかし、最近オープンした歌舞伎町のビル(歌舞伎町タワー)で、そのタイプのトイレを設置したところ、性犯罪が起こりそうだということで、批判が巻き起こっている。

女性が個室に入ろうとしたときに、男性が待ち構えていて、一緒に「さっ」と入って、性暴力や痴漢行為を働く恐れがあるというのだ。

また、隠しカメラを仕込まれる恐れがあるとも言われている。

小さな飲食店などでは、トイレが1つしかなく、男女一緒になっているところもまだまだ多いと思うので、そんなことがあるかもしれないが、心配しすぎのような気がしてしまう。

それは僕が男だからかもしれない。

もっというと、男女に部屋が分かれていようと、ジェンダーレストイレのように分かれていまいと、男としては極端な話どっちでもいい。

大変申し訳ないことであるが、女性ほどに危機感もなければ、関心もないというのが本音である。

しかし、設計を営む者としては、それではいけないので、もう少し考えてみよう。

なぜこのような議論が巻き起こっているかというと、権利と権利が相反している状態だからである。

実際の性と性自認が一致している女性と、実際の性と性自認が違う男性、それぞれの権利である。

ここで実際の性と性自認が一致している男性は、前述したようにそれほど権利の侵害を受けない。

実際の性と性自認が違う人たちは(おそらく男女問わず)、長年、トイレの使用に悩んでいた。

自分は異性だと思っているのに、肉体的な性の側のトイレに入るしかないからだ。

このことは、日本国憲法に謳われている「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利」を保証されていない状態と考えられる。

一方、実際の性と性自認が一致している女性は、男子トイレと、女子トイレが分かれていたことで、上記の権利を保障されていた。

痴漢や性暴力、盗撮などの被害を気にすることなく、また異性に排泄行為を感知されることなく、安心してトイレを使うことが出来た。

ところが、ジェンダーレストイレが一般的になると、前者は権利を保障されるが、後者は、もともと享受していた権利を侵害されることになる。

これが、反発が起こっている原因であり、議論すべき課題であるという理由でもある。

結局のところ、旧来の人間社会では、多数派の幸福や自由が尊重され、少数派は我慢を強いられる構造になっていた。

誤解を恐れずに言ってしまうと、この構造はある程度、合理性がある。

例えばトイレの問題にしても、ことはトイレのことだけなのである。

あらゆる面で、権利を迫害されているわけではなく、その人たちも、ものごとによっては、多数派の権利を享受している可能性が高い。

例えば、多くの道具は右利き用に出来ていて、左利きの人は、右利きの人より不便だということがある。

僕は身長が180㎝を超えているが、若いころは好きなデザインの服のサイズがなく、選択肢が少なかった。

最近は背が高い人が増えたのか、LLとかXLのサイズの服があるが、それでもたまにLまでしか置いてない店もある。

これらは経済合理性のためであると思われる。

人によってある面では、少数派で不便を強いられているが、ある面では多数派になることもある。

誰でも少しはみんなのために我慢しているという側面はあるのではないだろうか。

しかし、現代ではそのような少数派の我慢も、払拭していこうという時代になってきているのだ。

ジェンダーレストイレで、もうひとつ女性の反発の原因となっているのが、男性と同じトイレを使うのは気持ちが悪いとか、男性が使った後は汚いということだ。

おじさんが座った便座に座りたくないとか、立って小便をして床が汚れているので使いたくないということだ。

このあたりは、あくまで個人的な意見ではあるが、我慢すべきことではないかと思う。

妻に聞いたところ、妻も同意見であった。

ただし、妻は小便は男も座ってするべきと言っていたが。

ちなみに、僕だって床が汚れたトイレを使うのは嫌である。

白状するともう10年以上も前から、座ってするようにしている。

なぜなら座ったほうが楽だからだ。

性自認が実際の性と一致している男だって、いろいろ不満はあるのだ。

話はちょっとそれるが、命中率に自信があるのか、便座をあげずに立って小便をする男もいるようで、その自信に反して便座が汚れていることがある。

それだけは本当にやめてほしい。

一方、性暴力、痴漢、盗撮などの問題については、実態がどうであるかの把握はすべきだが、当然対処すべきものであるだろう。

ジェンダーレストイレの問題ばかりでなく、冒頭で示した裁判事例となっている、従来のトイレをそれぞれの性自認に従って利用できるようにするのかという問題も残っている。

ジェンダーレストイレは、新築や改修をする施設なら整備することが出来るが、全てのトイレがそれに代わるには時間がかかる。

その間は、従来のトイレを使うしかないが、その場合、心が女性で体が男性の人は、女性のトイレを使うことになる。

少なくとも裁判所の判決からは、そういうことになると思われる。

心が女性なのだから、女性を襲ったりすることはないと考えられるのだが、なかには性自認がその時々で入れ替わったりする人もいれば、さらに悪いことに偽物もいるというのだ。

世間の流れがそうなっているのをいいことに、性自認が実際の性と一致している男性が、性自認を偽って、女性のトイレに入ってくるというのだ。

中には公衆浴場の女風呂にも入ってくる男もいるという。

こういうことが頻繁に起こるとなると、女性の権利が著しく侵害されると言わざるを得ない。

ただし前述の痴漢男は逮捕されたということもあって、今後はまったく起こらないという可能性もないではない。

発生頻度については、しばらくは様子を見るしかないと思うが、いずれにしても、ただちに完全に解決することは難しい問題であると思う。

最後に、もうひとつ整理すべきことがあると思うのが、このような犯罪の防止という観点である。

実際の性と性自認が一致していない男性の権利と、実際の性と性自認が一致している女性の権利が相反する原因として、その二者と利害を異にする第三の存在があるということだ。

すなわちそれが、痴漢、性暴力、盗撮、のぞきなどを行う性犯罪者なのである。

言い換えると、二つの権利を調整する隙間を狙って利益を得ようとする者である。

こういう存在はいかなる時にも、変革の混乱に乗じて現れるものである。

この第三者の存在を排除すれば、権利相反のかなりの部分は考える必要がなくなると思われる。

すなわち、性犯罪を防止することが必要なのである。

これをトイレそのもののつくり方(ハード)で解決するのか、運用の仕方(ソフト)で解決するかが、今後議論されるべき点であろう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?