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フリーランスをやめてサラリーマンに
前回の投稿に「スキ」してくれた方のページを見に行くと、興味深い投稿があった。
それは「フリーランスをやめて、正社員になった」という内容だった。
昔は脱サラして自営業をはじめたという話を聞いたが、それと反対なのである。
20代の女性で、2年前にフリーランスになったが、思ったように収入が得られず、やりたい仕事が出来るわけでもないので、行き詰ってしまって就職したということだった。
若い人というと語弊があるかもしれない。
僕が就職したころから、その傾向はあったと思うが、より顕著になりつつあること、それは就職しても長続きしないことだ。
基本的には仕事のストレスに耐えられないというのが、主な原因であると思う。
昔はなかったと思うけど、最近よく耳にする理由は「やりたい仕事じゃなかった」とか「仕事で病んでしまった」というものだ。
以前「やりたい仕事をすべきか」という記事を書いた。
生きるためには、仕事をして、お金を得る必要がある。
やりたいことが他人のためになればいいが、そうでないなら、それをしてもお金を得ることはできない。
お金を得るためには、他人の役に立つ仕事をしないといけないという内容だった。
極端なことを言うと、他人がやりたくないことを代わりにやってあげることで、お金がもらえるというメカニズムといえる。
だから一般的に言って、仕事とは多くの人がやりたくないことなのである。
やりたいことというのは漠然としているが、多くの人がやりたそうなこと、例えばスポーツをしたり、歌を歌ったりしてお金を得られるのは、何万人、何十万人の頂点に立てる人に限られ、平均的な人には難しい。
もしやりたいことが、決して人がやりたがらない、でも他人にとって有用なことだったとしたら、それは天職というものかもしれない。
いずれにしても、やりたいことをしてお金を稼ぐことが出来るのは、むしろ特殊な例なのである。
現代の人間社会というのは組織とネットワークによって、昔から見るとかなり複雑な、さまざまなものを生産し、またサービスも提供できるようになっている。
組織の形態の代表的なものが会社である。
さらに会社同士がネットワークを形成して、人の生活を便利にしている。
組織とネットワークがなければ、大きな建築物も作れないし、電化製品や電子機器、自動車なども作れない。
食べ物にしたところで、さまざまな食品が並んだスーパーというものは、組織やネットワークがなければ存在しない。
したがって、現代社会において他人のためになるには、つまりお金を得るには、組織またはネットワークに所属しないと容易ではない。
仮に個人事業主としてフリーランスになったとしても、ネットワークのどこかに加わらないと、お金を得ることは不可能なのだ。
たとえば、農業をして野菜を作り、それを販売してお金を得れば、ネットワークに加わらず、一人で完結できると考える人はいるかもしれない。
では野菜の種はどこで得るのか。
また肥料はどこで得るのか。
農機具はどこで得るのか。
水はどうやって調達するか。
などと考えていくと、ほとんど不可能であることがわかる。
もっというと、作業のための衣服や長靴なども、自分で作るのは難しいだろう。
木や石を削って、糸を紡いで、何もかも全て自分で作るということも不可能ではないかもしれないが、あまりにも効率が悪すぎる。
それはもうフリーランスというより、原始人である。
そもそも原始的な暮らしが、不安定で非効率で厳しいからこそ、人類は組織とネットワークを発達させてきたのだ。
また、作った野菜を売るのであれば、競争原理や市場原理というものにもさらされる。
普通の農家が、一人当たり、ある野菜を〇トン生産するなら、それと同じぐらいの生産をしないと、普通の生活は出来ない。
したがって、農業をするにしても、サプライチェーンのようなネットワークの一部に加わらざるを得ないのである。
正直、農家のことはあまり詳しくないので、よく知っている建築の現場を考えてみよう。
建築現場にはフリーランスが多い。
業界では「一人親方」と言ったりもするが、実態はフリーランスである。
彼らは、土工であり、型枠工であり、鉄筋工であり、鳶工であり、溶接工であり、塗装工であり、内装工であり、電気工であり、配管工である。
それぞれ細分化された工種であり、一人で建物を全部作る人はいない。
もちろん、材料や設備機器は工場で作られている。
木材にしたところで、大工が直接、山で木を切って挽くというわけではなく、伐採する業者、加工する業者があり、その間に運搬している業者、またはフリーランスの個人事業主がいる。
ちなみにトラックを所持して、建材なり、土砂なり、生コンクリートなりを運搬しているフリーランスもいる。
彼らは主体性を持って自分の判断で仕事をするのは難しく、工程や、現場監督や、直接彼らに発注している(元請けから見ての)下請業者の指示に従って仕事をする。
また、基本的に日雇いなので、複数の現場をわたって、仕事が途切れないように、うまく調整しなければならない。
自分の裁量で仕事を取っていければ、多少、自由なところはあるが、実態は会社でいう契約社員のように、特定の下請け業者に、ほとんど雇われているような状態になっている人も多いと思われる。
フリーランスと呼ばれるものの実態は、多かれ少なかれそういうものではないかと思われる。
したがって、会社に所属していないだけで、働き方としては、会社に所属していることに近く、また、商品を作ることであれ、サービスであれ、やりがいを感じられるほど、成果物に影響する割合は多くない。
昔はよく会社で働くことを、(自嘲的に)歯車に例えたものだが、当たらずとも遠からずと言えるかもしれない。
また、フリーランスから正社員になった女性は、こういうことも書いている。
よりよい仕事をするために、時間をかけて考えたりしたが、その時間には報酬が支払われないことに気付いたと。
これは当たり前のことだと思うのだが、会社で働いている人には、感覚的に理解できないらしい。
当社は設計を主な業務としているが、建物の設計の相談をされて、基本計画や概算、時には完成予想パースを作成する。
これを作るのに、1週間かかって提出したところ、予算が折り合わずに中止になったりすることがある。
依頼者の言うとおりに設計したにもかかわらずである。
すると報酬はゼロということもある。
しかし、その仕事をした社員の給料は支払われる。
もし、この社員が、独立して個人事業主になったら、そういう場合、報酬はゼロだということに気づいて、この事実に愕然とするだろう。
何日も働いたのに、1円ももらえないなんて…とショックを受けるだろう。
日本の多くの会社では、決められた時間、指示されたとおりに働いていれば、結果がどうあれ、給料は保証されているはずだ。
もっとわかりやすいところでいうと、アルバイトをイメージするといいだろう。
コンビニでアルバイトして、その時間内に商品が1000円分しか売れなかったとしても、その日は数千円のバイト料をもらえるだろう。
また社員というものは、僕が知る限り、自分の働きによって会社がもうかっているかどうかには、あまり関心がないし、わかりようもなかったりする。
ところが、フリーランスになったとたん、そのようなことを否応なく知らざるを得なくなるのだ。
つまり、誰かからお金をもらえるような、形になったことをしないと、ただ働いたというだけでは報酬はない。
最近は上司が「新人は早く出社して、事務所の掃除をしろ」と言うと(僕も言われた)、時間外労働だと拒否する新入社員がいるという話も聞く。
それが正当なのかどうかはともかくとして、そういう新人だった人でも、フリーランスになれば自分の事務所を掃除しても、誰もお金はくれないということがわかるだろう。
フリーランスになるというのは、そういったことが身をもってわかるということだ。
まず現代の社会では、組織とネットワークに所属しないと、他人の役に立って、お金を得ることが難しい。
他者と連携しながら、個人が安定的に週40時間働いて、月に20万円とか30万円得ることは難しい。
世間の仕事には波があるからだ。
でも会社の正社員になれば成果にかかわらず、毎月同じ給料がもらえるのである。
しかし、会社の弊害もあって、上司や客が理不尽であったり、板挟みにあったりすることもあり、それが大きなストレスになることもある。
つまるところ、どちらを選ぶのかである。
まず会社に入って、フリーランスになるのはいいと思うのだけど、フリーランスの不安定さを知って、会社に戻るというルートもあっていいのかもしれない。
そうすることで、「やりたい仕事じゃない」といったような、会社組織に対する不満が軽減されるかもしれない。
また、病んでしまうという問題についても、完全な解決になるかどうかはわからないが、少し目線が高くなることによって、会社組織の道理が分かり、寛容な心持になれるかもしれないと思う。
さらにいうと、そのため同僚より、会社のためになる仕事が出来るようになる可能性もあるのではないだろうか。