別々の木が一つの物体に
co-ba kamaishi marudaiの隣の建物をDIYリノベーションしている。
全部をDIYで直すのは難しいので、大工や設備業者に水回りや、外部の高所作業などは頼んでいるが、かつてないレベルのDIYである。
象徴的なのは、2階に上がるには外部階段しかなかったのを、2階の床を抜いて、内部に階段を作ったところだろう。
その他には、床と壁の張替えや、和室部分は壁と天井を全て、しっくいとペンキで塗り替えた。
解体工事も、大部分DIYで行った。
1階の天井を解体し、壁の合板をはがし、2階の押し入れや、階段を作るための床の解体なども自分でやった。
解体というのは、部材を組み立てた順番と逆に外していくようなことだ。
梁や壁の胴縁、火打ちなど、どのように組み立てたか考えれば、素直に解体できる。
留めてある釘を抜いてしまえば、大きな木材でも意外なぐらい簡単に外れることもある。
この順番を無視すると、実に堅固な木の塊として、立ちはだかってくる。
力任せにハンマーで叩いてなんとか壊せても、息切れがして作業が長続きしない
新たに作るときにも、当然ながら木材を組んでいく順番がある。
壁や床の仕上げの大きさ、張り方を考えて、下地を組んでおかないと、肝心なところにビスが打てない。
先に取り付けた下地材は、次の材料、次の材料と取り付けていくうちに、ビスが四方八方から打込まれて、ちょっとやそっとでは取り外せない状態になる。
充電ドライバーでビスを何本打ったかもはやわからない。
何千本か、もしかすると何万本かもしれない。
元の建物には、充電ドライバーというのものはなかったか、あってもそれほど性能がよくなかったのか、ビスはなく釘が使われているが、基本的には同じようなものである。
解体するときは、驚くほどの数の釘が出てくる。
木材に打たれたまま残っているものも多く、出てくるのは一部でしかないのだが。
釘を抜いたり、ビスを打ったりしているうちに、ふと気が付いたことがある。
新たに階段を作るにせよ、下地を組むにせよ、元々の柱や梁に打ち付け、それにさらに仕上げ材を打ち付ける。
そう考えると、木材は新しくつけるものも、元々あるものも必ず、他の木材と接している。
そしてビスを多方向から打込んで一体化している。
木工用ボンドを使えば、さらに一体化の度合いが強くなる。
つまり、あらゆる木材は家の骨組みという、一つの物体の一部となるのだ。
1つとして、単独で存在している、つまり他の物質(プラスチックや金属、ガラスなど)で分断されて、存在しているものはない。
別々の木から切り出した木材が、合体して1つの物体になる。
今触っている木は、柱から梁から、土台や屋根の垂木まで、全部の木につながっている。
そう気づいたら、なんだか不思議な気持ちになった。
人工物ではあるのだけど、こういう風に考えると、木造の家というのは、なんとなく有機的なものであるような気もしてくる。
動物や人間の体のように。
木造の木の部分はまさに骨だ。
リノベーションは老朽化して傷んだ部分を直したり、取り換えたりすることで若返る。
家(建物)というのは生き物だと思うことがあるが、改めて実感を強める気づきとなった。