メンター工藤美優からメッセージ
こんにちは!今回、宮崎市制100周年記念若者ミライ提言事業『みやざきミライ史』にて、メンターとして学生のサポートをさせていただきました、工藤美優です。
私は東京出身で、大学の産学連携プロジェクトをきっかけに宮崎県綾町に移住し、現在はデザイナーとして活動しています🌳
この記事では、プロジェクトの最初の方に学生たちの前でお話しさせていただいた内容と、みやざきのミライを支える若者たちへメッセージを書いていきたいと思います!
宮崎に来たきっかけ
私は小さい頃からダンスをやっていて、学生時代は花形のダンス部に所属しながらも、実際は特に何も考えず、やりたいことや好きなこともなく、、
ただただ時の流れに身を任せ、平凡な日々を過ごしていました。
大学は美術大学の創造的思考力を実践的に学ぶ学科に入学。3年次には必須の授業で産学連携プロジェクトというものがあり、私はその授業をきっかけに宮崎県に来ました。
宮崎で何をしたかというと、林業を切り口に、宮崎の魅力を考えるということ。
しかし、他の学生が真剣に林業と向き合う中、私はなかなか興味を持つことができず、劣等感を感じていました。
(同じくメンターを務めた三井麻衣は、一緒のプロジェクトで林業にどっぷりハマり、宮崎に移住しています🌲)
そんなときに綾町のまちづくりをしている方に出会い、「林業以外でも森を守る術はいくらでもある」ということを教えていただきました。
その方はカフェを営みながら、料理や食器、そして空間そのものを通じて森の素晴らしさを伝えていました。
好きなこと、得意なことを通して伝えたい思いを表現する。私は美大生ながらも表現の原点に立ち戻ることができました。
就職活動の時期でもあり、「やりたいことがない」とずっと悩んでいた私に対して、彼は楽しんでものづくりをしている人たちの元へ私を連れ出してくれました。それが、私の人生を変える旅となっていくのでした。
人生を変える旅
まず、道中の車内で家族の話になりました。育ってきた環境を改めて自分で考えてみると、初めて「家族の中の私」を客観視することができました。
「親に愛されて育ってきたんだね」と言われた瞬間、自己肯定感なのか安心感なのか、胸が熱くなって涙が出そうになったことを今でも覚えています。
家族は社会の流れに乗らずとも自分たちで仕事を見つけて楽しそうに生きている。私は家族の中で一番真っ当に生きていたつもりが、「自分の道」を失いそうになっていることに気づきました。
綾から車で2時間半。水俣市に着き、「妖精みたいな女の子がいる」と言われ、会いにいきました。私より少し年上の彼女は水俣中の土を20種類以上集め、実験をするように遊んでいました。
彼女の屈託のない笑顔に魅了され、「私もこんなふうに楽しく生きていたい」と思いました。
次に会った人は水俣で無肥料無農薬の自然栽培でお茶を作っている農家さん。水俣の森から市街地までを車で案内してくれ、森の植生や街の歴史、田舎の問題点や可能性など、さまざまな視点でお話をしてくれました。
今まで触れたことのなかった会話の内容に全くついていくことができなかった私は、生きるための知識が圧倒的に不足していると感じ、「もっともっと学びたい!」と、徐々に「生きる」ということに対して意欲的になっていきました。
他にも、山を開拓してそば屋を経営するおじいちゃんや、民族仮面を集めて仮面や神楽の研究をする民俗学者、ニホンミツバチを愛してやまない人、常に裸足・木登りが仕事のおたすけマンなど、面白い人たちにたくさん出会うことができ、それまで思っていた「仕事」の概念が覆され、「私の人生」について考えるようになりました。
時の積み重ねの中で自然でいること
宮崎に行ったメンバー6人で、それぞれ学んだこと冊子にまとめることになり、私は自分自身の変化を文章にまとめ、学びをイラストで描き起こしました。
山には、人間の本来の生活があった。
生きるために必要な資源を自ら生み出し、
周りの人と助け合い、幸せそうに暮らしていた。
「当たり前のことをやっているだけ」と、本人たちは言うけれど、
私にとって、それは当たり前ではなかった。
仕事は、日々の生活の中で生まれる。
「やりたいこと」は向こうからやってくる。
今まで「やりたいことが見つからない」と、悩んでいた自分が恥ずかしくなった。
私は、「不自然」だったのかもしれない。
彼らは「自然」で、今の私に必要なものをたくさん見せてくれた。
里山には、たくさんの生き物が存在していた。
そこで暮らす人々は、多様性を認知し、共に生きていくために、
森を守る必要があることを知っていた。
そしてその守り方も、人それぞれの立場から幾通りもあった。
何十年、何百年も先の未来のことを考えるのは難しいと思っていたけれど、
山の生活を体験する中で、不思議と先のことを考えられるようになった。
山にはゆったりした時間が流れていて、とても居心地が良かった。
普段の生活に戻りたくないな…と、思っている自分もいた。
東京で生まれ育って、初めて本州から抜け出したら、知らない世界がたくさんあった。
宮崎で過ごした1ヶ月間は、林業を切り口に、「自然」の守り方を知り、
何も知らない私に、学ぶきっかけを与えてくれた。
もっと深く知るために、再び自ら宮崎を訪れ、地域での暮らしや仕事に密着した。
「自然」との対話を繰り返すことで、同時に自分が「自然」に近づいていく感じがした。
好みがはっきりして、前よりわがままになった。
成長しているのか、子どもに戻っているのか、わからないけど、
前よりも自信と希望に満ち溢れ、生き生きしている実感がある。
能動的に、人生を楽しめるようになった。
今まで、何にも興味を持てない自分に劣等感を抱いていたが、
今では逆に、「やりたいこと」がたくさん出てきて時間が足りない。
宮崎に来て、とても大切なことを学び、
普段の当たり前の生活も、新しい視点で見れるようになった。
「自分」を理解していくと、自分にとって、
のびのび育ててくれた両親の存在がとても大きかったことに気づいた。
すごく愛されて育ってきたんだなぁという実感が湧いた。
時の流れの中で自然でいることは、
今の時代、難しくなっているのかもしれない。
でもそれは、少しの気持ちの調整でできるようになるはずだ。
情報が多い社会に飲み込まれて「自分」を失うよりも、もう少しわがままで、もっと自由に生きていきたい。
それを認め合うことで、多様性が生まれると、私は思う。
自分の心の内にある情熱に真摯に向き合いながら、
丁寧に自己表現をしていきたい。
私の「自然」な旅が始まった。
自然や町、ヒト、動物、デザイン、さまざまなものと向き合いながら、自分自身とも向き合うことができたこの旅は私の人生のターニングポイントとなりました。
この大切な期間を見守ってくれていた親や教授や関わってくださった方々には感謝の気持ちでいっぱいです。
現在のわたし
現在は日本最大級の照葉樹林を誇る綾町にて、カフェの商品製造やデザインなどを仕事にしています。
価値のないものとされていた剪定後の木の葉っぱやみかんの皮、そこら中に生えているハーブなども、視点を変えると宝物に見えてきます。
デザインは、見えない価値を見えるようにすることであり、共感を得ることは私自身のやりがいにもつながっています。
また、実際に自分で手を動かして作業をすることで、頭では感じきれないものがすんなり体に染み渡るような感覚があります。
最近は木の剪定→焚き火→五右衛門風呂がマイブーム。
周りの人からは「たくましくなったね」と言われることが増え、2年前の私の姿とはまるっきり変わってしまいました(笑)
みやざきミライ史
みやざきミライ史は、「表層的な問題点を見つめて解決策を頭で考える」のではなく、「奥深くにある価値に気づくために『問い』を立て体を動かしながら考える」という素晴らしいプロジェクトでした。
私の人生を変えた旅のように、今回のプロジェクトに参加した学生たちも何か得るものがあればいいなという思いでサポートさせていただき、メンターという立ち位置の難しさを痛感しながらも、楽しく関わらせていただきました。
学生たちは、プロジェクトの中で思いもしなかった発見がいくつもあり、日々自分の変化を感じていたと思います。悩みながらも努力を続けた姿を知っていたからこそ、最終発表の成長した姿にはこっちまで元気をもらいました✨
そして、裏側には宮崎市役所の吉瀨さん、委託事業者である公共とデザインの石塚さんをはじめとした運営チームの計り知れない努力があり、今回メンターとして携われたことは私にとってもいい経験になりました!
学生たちへメッセージ
約半年間本当にお疲れ様でした!
プロジェクトを振り返ってみると、「問い」を立てるまでの話し合いが面白かったな〜と感じています。
住民のちょっとした一言で街の見え方が変わったり、メンバーの意見で方向転換したり・・・
その度に自分が持っている先入観や固定概念が取っ払われ、視野が徐々に広がっていったと思います。
私はこの「対話」こそが、人生を、まちを、より豊かにする秘訣だと思っています!
プロジェクトは終わりましたが、普段の生活でもこのような「対話」を心がけて生きてほしいです✨
暖かく豊かな宮崎の魅力や価値を共に守っていきましょう🌴
ありがとうございました!