大好きだ!と叫びたかった
のんびり起きてぼーっとして。
今日はなんとなくこちらへ
フジコ・ヘミングもクラシックも、特別ファンという訳ではないのだけれど。
ただただフジコ・ヘミングの生きた美しい世界に
観入ってしまった。
日常も、世界の街並みも、人も動物も、過去も今も、記憶も思い出も。全てが美しかった。
〝人生は、時間をかけて私を愛する旅〟
冒頭の言葉が頭から離れない。
〝好き〟も〝嫌い〟も素直に口にする彼女。
飾らない人柄でとてもチャーミングだった。
月の光やノクターン、私でも知っていて、何となく好きだと感じる曲が流れていく。
フジコ・ヘミングのピアノは、どこかに懐かしさを感じるような、暖かくて、優しくて、時々切ないような、でも私の全てを包み込んでくれるような不思議な音色だった。
映画を観終わっても、彼女のピアノの音色がずっと頭の中で響いている。
帰ったらじっくり聞いてみよう、そう思った。
夕飯を済ませて、ベッドに転がり、フジコ・ヘミングを聞き始めた。
月の光
何の涙か分からない涙が出てきた。
悲しいわけでもない、何かを思い出した訳でもない、感動ともちょっと違う…理由のつかない涙。
柔らかく優しく、まるで、いつかどこかで抱えてしまった傷を癒してくれるかのように、心に音色が染み込んでいく。
ひとしきり涙を流すと、ふと心の奥から〝愛したかった!〟そんな言葉が聞こえた気がした。
映画の中、純粋に〝好き、嫌い〟を表現する彼女に羨ましさを覚えた。
何が原因かは知らないけど、私は、〝何かを好きになった気持ち〟に素直になれない所がある。
記憶のどこかに、心の奥のどこかに、
〝好きになったものは離れていってしまう〟
〝好き、を表現すると否定される〟
そんな想いを感じる瞬間がある。
無意識に、〝好き〟を隠したり、人に合わせたり、
なんなら〝好き〟なものを遠ざけてしまったり、自ら遠ざかってしまったりする。
〝人生は、時間をかけて私を愛する旅〟
再びあの言葉が浮かぶ。
あぁ、こんなにも、私は〝愛したかった〟んだ。
私自身を、この人生を
家族や友人、出会ってきた全てを…
愛することを許そう
愛することに、この命を使おう
臆することはない。
時々、彼女のピアノの音色に触れて
彼女の魂を感じて
私の生きる道を照らしてみよう、と思う。