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#052_好きな気持ちを整理するにはどうすればよいでしょうか?

こんにちは、いつも宮内さんの音楽を聴いています。ライブに何度か伺いました。芝生の上でリラックスして音楽を堪能でき、とても素敵で心地よい時間でした。その際はありがとうございました。

ところで早速恐縮ですが、人間関係についての相談です。

職場でよく話しかけてくれる後輩Aくんがいます。Aくんはユーモアがあり、くだらない会話をするのが楽しくて、正直なところAくんのことが気になっています。

しかし、Aくんは何とも思ってなさそうです。むしろAくんの同期(Bさん)と一緒にいるように思います。Bさんと付き合っているのだろうか、と思う瞬間もあります。ただただ、私がAくんのことを好きなのだと思います。

また、私は現在同棲中です。同棲相手とは付き合って8年くらいになります。以前1度振られてしまいましたが、説得して今も一緒に暮らしています。
彼とは結婚も考えて何度か話し合いましたが、毎回タイミングが合わず先延ばしになってしまいます。でもお互い家族のような存在です。

そんな大切な存在がいながら、Aくんのことを少しでもいいなと思ってしまう自分が嫌で仕方ありません。

恐らくこのままずっと、Aくんに想いを伝えることはないだろうと思います。それでも、なかなか気持ちの整理がつきません。気持ちを整理するにはどうすればよいでしょうか?長文で大変申し訳ございません。

整理といっても、いろんな形がありそう

どうも、おじさんです。ライブまで来てくださったり、こちらこそありがとうございます。芝生でゴロゴロしてもらいながらのイベントは、僕も好きです。

さて、またも恋愛相談!以外とそういう需要があるのかなあ。恋愛に関しては全く自信ないけれど。思いついたことを勝手に書いてみます。

とりあえず、好きになっちゃう、気になっちゃうとかは仕方ないんじゃないかなあと思っちゃった。人間だもの、です。性格の相性のいい人とか、価値観がすごい合うとか、見た目が好みとかもあるだろうし、一緒にいて楽しい、うれしい人と、仕事だろうがなんだろうが長い時間を過ごしていたら、そういうこともきっとあるのではと。僕だってわからない。

だからそれは仕方ないってことでいいんじゃないかなあ。あんまり自分を責めなくていいと思ったよ。責めるとすれば、自分勝手な一歩を踏み出しちゃったときなのでは。

本当の意味で気持ちを整理するには、Aくんに本気でぶつかってみる、という答えしかない気がするなあ。筋を通すなら事前にきちんと今の相手とお別れしてから、ということになるよね。寂しいね。

今の相手と仲良く過ごしていたいと思うなら、むしろ気持ちを整理しない!と本気で覚悟することができたらそれもいいのかな、とか思った。

気持ちを整理したいっていうのはズルいことかも、って思ってみるのはどうだろう。実際、一人で勝手にスッキリできたら誰も傷つかずに一番楽だもの。それは正しいというよりはちょっと都合が良いことなのかもしれない。そうじゃない方法を考えてみては。

例えば冗談と思って聞いてほしいんだけど「これは修行だ!私は試されているのだ!」とか思って、とにかくテンションを上げて、耐え忍ぶ道を選んでみるとかどうだろう。前のめりで耐え忍ぶ。そういう考えがよぎったら、天気関係なく家を飛び出して100m全速力で走らなくちゃいけないとか、腕立て30回やらなくちゃいけない、とかルールを科すとか。

前のめりっていうのがポイントかも。我慢とかよりも先に前に飛び出す感じで。まあ、ポイントとか言って、思いついただけで僕はそんなのやったことはないんだけども。

逆に意識しちゃって気になってしょうがなくなったりするのかな。でもそれならそれで相当好きなんだろうから、その時は逆方向に覚悟も決まるかもしれない。

好意をもってしまうのは人間だからとりあえず仕方ないとして、その後どうするかはやっぱり相談者さん次第なのでは。細かい事情はわからないけど、どちらの道も別にありなのではないかと思う。無理に隠したまま過ごされても、今の相手も嫌かもしれないし。どっちがみんなにとって本当に良い道なのかは、後になってみないとわからないよね。

僕もこんなこと書いておいて、実際何があるかはわからないよね。私は大丈夫と思ってるほど、予期せぬことが起こってしまうような気がする。

もし僕もなんだか整理がつかない悩みが生まれたときには、テンション上げて前のめりで耐え忍ぶようにしてみようかな。ここでこういう文章を書いておいたことで、準備ができて耐えられるかもしれない。もしそのときに耐えることができたら、相談者さんのおかげです。

すごい話それちゃうけど、どうにも困った時は角度を変えてみる(思い切って逆とか)のは僕はよくやります。このところ、ライブがどうもうまくいかなくて。今振り返るとその時はどこかプロっぽく、流れるように音を重ねていって、すごいと思わせたい、なんていう邪悪な(ズルい)思いがどこかあった気がして。無意識のうちにうまくこなすために安全な方に向かってしまって表現に限界を作ってしまっていたような気が。

ちょうどこの間思い切って、恥ずかしいし情けないけど、グダグダになっても時間がかかってもいいということにしてみて。何度もやり直したり調整したりしながら、とにかく「いいな」と思うものを目指す、みたいな感じでやってみたらちょっと手応えを感じて。流れるようにやることと、「いいな」を目指すことを両方目指すのは欲張りだったのかなあと思った。昔は違ったけど、今はやっぱり「いいな」を優先したい。

でも流れるように演奏する人とかうっかり見ちゃうとかっちょいいなーあんなふうにやりたいなーとか、ついつい思ってしまうのよね。堂々巡り。

でもなんとなく今じわじわ感じてるのは、僕はずっと優柔不断で生きてきたけれど、もしかするとそれを直そうとしないで、前向きに優柔不断な状態を真っ直ぐにしっかりやってみると、意外と芯のあるような表現も生まれるかもしれないなんて思ってきたところ。(検証中)逆に言えば、そうしかやりようがないのではと思ってきている。

何の話だったか。笑

とにかく相談者さんに良い未来がやってきますように。整理ということすらもいろんな形があると思う。もしかすると、自分が今すぐにスッキリしなくたって、いつのまにか後になってふわりと整理できる(勝手にされる)こともきっとあると思うんだよなあ。

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