「フレンパ」~友だち以上父親未満~ 第一話
【あらすじ】ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
東京・汐留にある大手総合物流会社に勤務する綾島吾郎は、かつて、社内の慰労会でセクハラ疑惑を受け、今は次長職を追われて、肩書きのない一兵卒の日々を過ごしている。意気消沈しながらも部内プロジェクトに取り組むなか、香港駐在員時代に禁断の一夜を共にした若山十和子が、社外コンサルとして吾郎の前に現れる。そして、疑惑のセクハラ被害者、若山亜矢子が十和子の一人娘であったことを知ったのだった。さらに想像もしなかった驚きの過去を知るなかで吾郎は、スタートアップ企業を立ち上げた亜矢子と共に、新たな事業を計画する。そして、一兵卒とはいえどもサラリーマンの矜持を抱きながら再び前を向きはじめるのだった。
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六月、夏至を過ぎた夕暮れ時の東京・中野。その繁華街から北側、昔ながらの住宅街を縫うように走る西武新宿線に、新井薬師前駅がある。
この駅周辺は、庶民的な商店街が広がっており、中野区でも人気の居住エリアである。午後七時をまわり、ようやく薄暗くなった駅前広場には、改札口から吐き出された人々が溢れていた。そんな人々の多くは、ただ黙って前を見つめたまま家路へと急いでいる。
「評論家は必要ないんですよ、綾島さん」
人波に流されて駅の改札口を出た綾島吾朗は、いつもの、ごくありふれた駅前の風景を横目に、今日午後に開かれた部内のチーム会議で、歳下の上司から言われたダメ出しのセリフを思い返していた。
「もはや、不要になった粗大ゴミか・・・」
そうつぶやいた吾朗は、港区の汐留エリアに本社ビルを構える大手総合物流会社、帝国通運に勤務している。
大学を卒業後、日本経済のバブル末期に入社した吾朗は、物流の現場を通じて、景気の最盛期と低迷期の両方、いわゆる天国と地獄を経験し生きぬいてきたという自負を持っている。しかし、今は、そんな武勇伝など関係ない。ただ淡々と、無難に仕事をこなすよう、自分に言い聞かせていたのだった。
そして現在、五十五歳となっている吾朗は、今年四月の人事異動で、部長職へ昇格することができなかった。それに伴い、内規による役職定年制が適用され、これまで持っていた次長という肩書きを失くしていた。今は、配属された本社営業企画部で、一兵卒とも言える平社員として勤務している。そんな吾朗が所属する営業企画部には、新規ビジネスグループと称して、陸海空の各輸送モードを活用するチーム、そして新たに新設された、社内シニア人材を活用するチームの二つがあり、吾朗は、その中でも社内シニア人材活用チームに所属していた。
「あれこれ、リスクを並べたてるのは誰にだって出来るんです。私たちが欲しいのは、建設的で斬新なアイデアなんです。このチームに、評論家は必要ないんですよ、綾島さん。とにかく、明日また部内会議をしますけど、よろしくお願いしますよ」
ふたつのチームを統括している歳下の専任部長、仲城秀幸の言葉が、吾朗の脳裏に再び蘇った。
「アイデアか・・・」
吾朗は、そうつぶやきながら、駅前にある雑居ビルを見上げた。視線の先には、ビルの二階でネオンを灯す、スナック・カノンがある。
「ちょっと、寄ってくか」
そして吾朗は、ブリーフケースの中から、おもむろに使い古した黒の長財布を取り出して、中にある千円札を数えた。ざっと見ただけでも六枚はある。
ボトルキープがあれば、二時間三千円の安心会計で飲めるといった、サラリーマンにとっては良心的なスナック・カノン。そして、この店を経営しているのは、美しい容貌とは裏腹に、いつも辛口なコメントを発するオーナーママ、磯住佳乃子である。
吾朗は、そんな佳乃子の顔を思い浮かべながら、駅前広場に面したレトロ感満載の雑居ビル入口へと向かった。
「カラ~ン・コロ~ン」
雑居ビル入口から階段を登った二階に、スナック・カノンがある。疲れた顔で吾朗が入口ドアを開けると、佳乃子はカウンターの内側でキャビネットに並ぶキープボトルの整理をしていた。この店は、入口右手に六人掛けカウンター席があり、その奥には四人掛けボックス席がひとつの、小さなスナックである。
時間が早いためか、店内には吾朗のほかに、客はいない。
「あら、綾島くん。久しぶり」
明るい声で、そう言った佳乃子は、六十歳を少し過ぎてはいるが、かつては銀座のクラブでホステスをしていただけあって、ノースリーブ姿の上半身には、まだ四十歳代と言ってもいいほどの、若々しい色香が漂っている。とはいえ、二度の離婚歴を持つ佳乃子の波乱に満ちた人生は、スナックのママという職業において、神秘的な雰囲気を醸し出すといった、プラス効果を発揮しているように、吾朗は改めて感じた。
「ここでよかったかしら?」
カウンターの一番奥の席に、コースターと小鉢、そして割り箸をセットした後、ようやく、口元を緩めて笑みを浮かべた佳乃子は、冷えたおしぼりをクーラーから取り出すと、慣れた手つきでそれを開き、吾朗へ差し出した。そして、スリムな体を翻し、キャビネットへ手を伸ばすと、吾朗がキープしているウイスキーボトルを探し始めた。ブラウンに染めたロングヘアをアップさせ、その髪留めから下に伸びる白いうなじに視線を奪われながら吾朗は、用意されたカウンター席に座ると、胸のポケットから煙草とライターを取り出して、カウンターの上に置いた。
一年ほど前、初めて店に来て以来、吾朗は、月に二、三回のペースで、ここを訪れている。そして、常連客と言えるほどにまでなった今では、カウンターの一番奥にある席に好んで座っていた。ただ最近は、新しい部署での不慣れな業務から生じる忙しさもあり、吾朗がこの店に来るのは、ほぼ二ケ月ぶりである。
「ママって、いつ見ても綺麗だけど、本当に独身で彼氏いないの?」
吾朗は、本心からそう言いながら、一本目の煙草を取り出すと、佳乃子は素早くライターを手にして灯した火を、両手で吾朗に差し出した。
「そうよ。たぶん、このまま独身を通すかもね」
大きな瞳で流し目をしながら、甘い声を発する佳乃子の手に吾朗は、くわえた煙草を近づけた。そして、最初の一服を吐き出した後、「ママの、そういうツンとした態度、男前だな~」と笑った。
「それって褒め言葉?まあ、ありがと。そういえば・・・、四月から新しい部署に変わったのよね。調子はどう?」
佳乃子の問いに吾朗は、真顔になって煙草のけむりを吐き出すと、一言ポツリつぶやくように言った。
「それが・・・、今日、ちょっとあってね」
そして吾朗は、今日の会議で歳下の上司から「必要なのはアイデアで、評論家ではない」と言われたことや、チーム内で受け持つ役割が、各種媒体記事のチェック、プレゼン資料の作成、そしてコピー取りになっていることを話した。さらに、もはや今の自分は、会社にとって不要なお荷物なのかもしれないと。
「その通りなんじゃない?」
佳乃子は、水割りのグラスを吾朗に差し出しながら、平然とした口調でそう言った。
「えっ?」
「だって、もう次長じゃなくて、ただの平社員なんでしょ?しかも、高給取りの・・・」
「まあ、それはそうだけど・・・」
「もしかして、私に、『まあ~、ボクちゃん、かわいそうね~』って、慰めて欲しかった?」
そんな佳乃子の辛口コメントに、吾朗は「それは・・・」と苦笑いしながら、その後の言葉が見つからず、仕方なく水割りのグラスを口にした。
「まあ、真面目な綾島くんだから、若い上司の苦言を真に受けたのかな?」
「そうかもね。ただ・・・、これから先、どうすれば・・・」
そう言いながら、のけぞるように宙を見上げた吾朗は、二本目の煙草を取り出すと、今度は自分で火を点けた。
「そうね~。綾島くんが、これから進む道って、最低でも三つあると思うわ」
「えっ?それって・・・、どんな?」
佳乃子の言葉に、吾朗は思わず身を乗り出すように聞いた。
第一話 おわり
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