愛と根性のシューアイス(童話)
「おばあちゃん、全然食欲がないんだって」
仁はママから聞かされた。
「え、本当。大丈夫かなあ」
仁はばあちゃんのことが心配になった。仁にとってばあちゃんは、いつもやさしくしてくれる大切な存在だった。
「暑い日がつづいているからなあ」
今年の夏は、年寄りでなくてもグッタリしてしまう暑さだった。
「よしっ、オレはばあちゃんのところへお見舞に行く――」仁は声高らかに言った。「冷たいシューアイス持ってさ。ばあちゃん好きでしょ。そうすれば絶対ばあちゃんはよろこんでくれて元気になるよ」
「えっ、仁君、おばあちゃんの家に行くの? おじいちゃんのことが恐いんじゃなかったっけ?」
「そうなんだけどさ・・・」
仁は顔を曇らせた。じいじはいつも不機嫌で、少しでも騒がしくすると大きな声で怒鳴ってくる。できることならじいじには会いたくない。
「それに仁君、バスの乗り方知ってるの? ここからおばあちゃんの家までは十キロ近くあるから、歩いて行ける距離じゃないわよ」
「それも、そうだなあ・・・・」
仁は腕組みをして考えた。じいじは恐いし、バスにも乗れない。でも、病気で体調をくずしているばあちゃんには、どうしてもおいしいシューアイスを食べてもらいたい。
「行く、オレは絶対に行くよ。ママ、あとでバスの乗り方教えて。明日行くからさ」
「仁君、本気? ママ心配だわ」
「大丈夫、オレは男だ。やるときにはやるさ」
小学五年生の仁にとって、となり町のばあちゃん家に行くことは大冒険だった。
翌日、昼ごはんを食べた後、仁はママからお金をもらい家を出た。
「行ってきます」
「仁君、気をつけて行くのよ。あわてなくてもバスは二十分おきに出ているんだからね」
玄関を出て空を見上げると、青い空がまぶしく広がり、凶暴そうな太陽がギラギラと光っていた。暑い。すこぶる暑い。でもオレは行く。ばあちゃんのためだ。
仁は近所のケーキ屋さんでシューアイスを買った。代金を支払っているとき、ふと思った。この暑い中、シューアイスは溶けてしまわないだろうか? 店員さんにたずねた。
「すみません、シューアイスはこのままだと、どのくらいで溶けてしまいますか」
「できたら二十分ぐらいで冷凍庫に入れてほしいですね」
「二十分だけですか・・・。困ったなあ」
「遠くまでお持ち運びですか。じゃあ、溶けないように保冷パックに入れましょうか。そうすれば、二時間ぐらいは大丈夫ですよ」
「本当ですか。ありがとうございます」
仁は保冷パックで密封された箱を持って店を出た。エアコンの効いた店内から外に出るとムッとする熱気が体にまとわりついてきた。
「オレは負けないぞ。ばあちゃん待っててね。今から行くからね」
仁はママに教えられたとおりバス停の前でバスを待った。ここから風雷神社行きのバスに乗り、田上病院前で下りればいいだけだ。運賃は三百八十円。乗車時間は十五分。
仁は一人でバスを待っていると不安になってきた。もし間違って乗ったら、どこか遠くへ連れて行かれてしまう。ママは運転手さんに行き先を聞けばいいと言っていたが、見ず知らずの運転手さんに話しかけるには勇気がいる。
バスがやってきた。しかし、そこで仁はバスに乗りこむことができなかった。バスは行ってしまった。
「どうしよう・・・。そうだ、シューアイスの店員さんは二時間は溶けないって言っていたぞ。ばあちゃんの家まで十キロ、走ったら一時間ぐらいで着きそうだ。バスなんかに乗らなくても大丈夫じゃないか」
仁はシューアイスの箱を脇に抱え、ばあちゃん家に向かって走り出した。
「オレはクラスで一番走るのが速いんだ。余裕、余裕」
炎天下の空の下、走っていると汗がダクダクと滝のように流れ出た。三十分ほど走りつづけただろうか、大森公園までやってきた。
「ハアハア――。よし、公園まできた。あと半分だ。ちょっとひと休み」
仁は公園の給水場で水を飲んだ。カラカラになっていたのどがうろおい、生き返ったような心地がした。木陰にあるベンチに寝そべった。
「フウー、いい気持ちだ・・・・」
ハッと気がついた。ひと休みのつもりがうっかり寝てしまった。時計を見ると、一時間ほど過ぎていた。
「あっ、いけない」
仁は飛び起きて走り出した。しかもペースを速めて走った。しばらくすると息が苦しくなってきた。だけどペースを落とせない。モタモタしていたらシューアイスが溶けてしまう。
「あっ、工事中」
道が『工事中』の看板でふさがれていた。迂回路を使わねばならない。
「こんな時に限って遠回りか」
仁は迂回路の細い道へ回った。グネグネ曲がりくねった小道を走っていると、自転車と鉢合わせになった。
「危ない!」
仁は跳ねるように自転車をかわした。そのときシューアイスの箱を落としてしまった。
「あっ、シューアイスがつぶされる!」
自転車は間一髪、急ブレーキをかけて止まった。シューアイスはつぶされずにすんだ。
「坊や、大丈夫かい?」
自転車に乗っていた青年が驚いた様子で声をかけてきた。しかし仁の耳にはその声はまったく聞こえなかった。
「危なかった・・・・。大切なシューアイスが、もう少しで・・・・」
仁はシューアイスの箱を両手で大事そうに拾い上げ、暑さで真っ赤になった顔で自転車の青年をにらみつけて、大声で言った。
「気をつけてください。ばちゃんのところに持っていく大切なものなんです!」
青年は仁の気迫に驚き、呆気にとられた。
「時間がない。急ぐんだ」
仁は駆け出した。小道を走り続け、やっと大通りに出た。
「あっ!」
今度は前方に大きな犬が寝そべっていた。ヒモでつながれているようだが、ヒモは細くて頼りない。近づきたくないが、どうしても犬の前を通り過ぎなければならない。
「おとなしく寝ていろよ」
ソッと犬の前を通り過ぎようとしたとき、犬はあやしい気配を感じたようで、パッと目を開けて獰猛な声で吠え立ててきた。ーーウー、ワン、ワン。
「逃げろ!」
仁は全速力で走った。かまれたら大怪我だ。
「アッ・・・・」
そのとき、片方の靴がぬげて転んだ。とっさにシューアイスをかばって転んだので、受け身がうまくとれず、膝を道路に強く打ちつけた。
「ギャー! 痛たたた・・・・」悲痛の声をあげながらシューアイスを確認した。
「よかった、シューアイスは無事だ」
しかし、膝はすりむけてしまい、みるみるうちに血が出てきた。脱げた靴を見ると踵の部分がはがれている。
「靴がこわれちゃった。これからは片っぽだけで走らなきゃ」
仁は膝の傷口にペッとつばをかけて消毒し、痛みをこらえて立ち上がった。右手にシューアイス、左手に踵のはがれた靴を持ち、片足は裸足になった。
「ばあちゃん、今行くからね。オレはこんなことで負けやしない。ウッ・・・・」
痛みで顔をゆがめた。
「我慢だ」
足を引きずりあがら一歩一歩前へ進んだ。ペースが遅れ、時間は刻々と過ぎていく。
「頑張れ、仁、お前は男だ。頑張れ、シューアイス、溶けるんじゃないぞ」
仁は自分を励まし、脇に抱えたシューアイスも励ました。
「あっ、ここは――」
ばあちゃん家周辺の見慣れた風景が現れてきた。もうすぐでばあちゃん家だ。仁は最後の力を振りしぼって必死で前へ進んだ。ゼイゼイハアハア息は苦しく、体中汗びっしょり、膝から血が流れ、裸足の足の裏も痛い。
「もう少しだ、仁。走れ、仁」
ばあちゃんの家が見えてきた。よく見ると、ばあちゃんが玄関の前に立っている。
「ばあちゃん!」
仁はさけんだ。
「仁ちゃん!」
ばあちゃんは仁の姿を見て驚いた。バスでくると思っていたら走ってきたのだ。しかも痛々しげに足を引きずっている。
「仁ちゃん、どうしたんだい!」
ばあちゃんは仁に駆け寄った。
「ちょっと、転んじゃって」
「ママから電話で三時間前に出たっていうのに、なかなか来ないから心配していたら、こんな怪我しちゃって・・・・」
ばあちゃんは仁の膝を見て涙ぐんだ。
「犬に追いかけられて転んじゃったんだ。それよりも、ばあちゃん、シューアイス早く食べて。溶けちゃうから」
仁はシューアイスの箱を差し出した。
「ありがとう、仁ちゃん。こんなにまでして持ってきてくれて」
箱を開けると、シューアイスは袋の中でベッチャリと溶けていた。
「ああ・・・・」
「いいのよ、仁ちゃん。おばあちゃんは溶けたアイスの方が好きなんだから。ありがとう、仁ちゃん」
「ばあちゃんこそ、早く元気になってね」
ばあちゃんと仁は強く抱きしめ合った。
「ゲホ、ゲホーー」
玄関の脇でその様子をタバコを吹かしながら見ていたじいじが、大きく咳払いをし、ノシノシと仁のそばに歩み寄り、言った。
「仁、エライぞ。遠くからよく頑張ってきた」
いつもは恐いじいじが涙ぐんでいた。
「お前には愛がある。根性がある。よくやった!」
じいじも仁を抱きしめた。仁はじいじに生まれて初めてほめられてうれしかったが、じいじの体はタバコ臭かったので、一刻も早く離れたかった。
(了)2017年作
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