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黎明期のパソコンゲーム開発#4

■パソコン黎明期 ~手探りのゲーム開発~

1.パソコン雑誌のプログラムを入力・改造

パソコンが出る以前は、まだソフトウェア自体が販売・流通していなかった事もあり、ゲームは主に雑誌に掲載されたものを自分で打ち込み(入力し)動かす形が多かったように思います。

下記はASCIIに掲載されていた宇宙戦艦ヤマトのゲーム記事。このゲームを楽しむため、朝から電気屋に通って何時間もかかって雑誌を片手にキーボードに向かって打ち込み、1日中遊んでいました(今から考えると、とっても迷惑だったかもしれません)

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これが当時の雑誌掲載のプログラムリスト。動かした後、プログラムを改造して新しい武器を作ってみたりワープの機能を作ったりと、「改造して楽しむ」遊びをしていました。

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2.アルゴリズムとプログラムでの実現方法

ASCIIでは様々な企画ものがありました。その1つが「マイクロオセロリーグ」。オセロのプログラム同士の対戦といった企画ものでしたが、各プログラムのフローチャートや考え方などが掲載されており、ゲームのアルゴリズムの勉強にもなりました。

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ただ、アクションゲームとなるとBASICでは限界があり、動きをより早く・リアルなものにするため徐々にマシン語をつかったプログラムが多く出てくるようになりました。

でもこの「マシン語」というのがとっても大変。下記のようなダンプリストをもとに、パソコンに向かって1文字も間違えずに入力するという地獄が待っていました。

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3.方眼紙でドット絵

当時のパソコンはキャラクタ文字のゲームが中心。そのためパソコンでゲームを作る場合はゲームのキャラクタを文字で無理やり表現したりしていました。

キャラクタ

当時のパソコンではグラフィックの貧弱さもありましたが、ドット絵のエディタもなく、あっても色数や数々の制約もあったりとリアルなゲームキャラクタを描くにはハードルが高かったように思います。そのため方眼紙にドット絵のイメージを描き、方眼紙でイメージを膨らませたあとパソコンに打ち込んで動かすといった面倒な事を行っていました。

FANFUN方眼紙

当時はゲームを作るプロセスやツールなどがほとんど無い時代。雑誌のプログラムなどを改造して学んだり、方眼紙でイメージを膨らませて打ち込んでドット絵にしてみたりと、まさに手探りでゲームを形にしていく時代だったと思います。

次回はパソコン黎明期の時代の話題の最後として、当時のパソコンやソフトの広告などから、当時のパソコン・ソフトの流通状況などを書きたいと思います。

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