黎明期のパソコンゲーム開発#10
■はじめてのパソコン ~ハードウェアを「しゃぶりつくす」~
1.制約だらけのパソコン環境
当時のパソコンの表示機能は解像度・色数とも少なく、ましてや3Dやスプライトといった機能もないため、表現にはかなり制約がありました。
PC-8001もVRAM容量が3Kbyte。画面の表示領域は横80桁、縦25行となっており、それに加えて色を変化させる「アトリビュート」という領域が各桁に20回分あるという特殊な設定になっていました(正確にいうと、アトリビュートは各桁に40Byteあるが、アトリビュートは最低2Byte消費するため20回しかつかえず、VRAM領域は(80+40)×25で3000Byteになるという計算)。
またVRAM上の1Byteもグラフィックモード/キャラクタモードという種類があり、それぞれのモードによって1Byteの中身をどう表示するかが決まっていました。(下記図)
そのためグラフィックも1つ1つに色はつかず、2×4の単位でしか色がつかないという制約がありました。
音についてもBEEP音(ピーーッとなる単音)だけであり、BEEP音のON/OFFしか出せないという仕様になっていました。
2.実験と試作の繰り返し
アトリビュートの制約があるなら、いかにその制約を遊び手に感じさせないか、また色数の制約がグラフィックの解像度の低さを意識させないかが工夫のし所というところでしょうか。
FANFUNやZAXUSでも、色の使い方やデザインについて、かなり試行錯誤や細かな実験を繰り返して創っていました。
ただし、スクロールのようなゲームでは色を多く変化させる必要があったり、速度の問題が出てきたりするため、様々なプログラムテクニックを使ったり、そもそもどの程度まで実現可能なのかを実験・試作を繰り返して創っていきました。
ZAXUSの流れる星なども試作プログラムを何回も作った結果のものとなっています。
音についても単音のBEEP音を短い時間でON/OFFし疑似的に音階をつけてみたり、制約のあるPC-8001のハードをどこまでいかせるか?に挑戦していた時代でもありました。
※次からは、黎明期の時代にどのようにゲームを創っていったのか、ゲーム開発の大まかな流れについて記載していきたいと思います。