10年前の読書日記18
2014年4月の記
前々から各所で石ブームが来ている、今年は石の年などと主張してきたが、私が、石、石と言うたびに、石ブームなんか来てません、と多くの人に鼻で笑われ、それでも言い続けていると、だんだん相手にされなくなってきた。しかし、社会情勢を見れば、
根強い自然志向→木や石ころに目がいく
若者の地元志向が強まっている→みんなが足元を見つめなおす→石に気づく
アベノミクスで残業代がゼロになる→宝石なんか買えない→そのへんの石ころで代用
と、多くの状況が石に向かっているのは明らかだ。
ただ、最近は私も事態が飲み込めてきて、石ころは、ブームというより、釣りとか温泉とかローカル線みたいな、すでに定番のジャンルなのだと思い始めている。定番なんだけども、なかなか表に出てこないのは、どこにも金が落ちないためにスポンサーがつかないからではないか。
なるほど、スポンサーの問題だったのか。ということでみんな納得するように。
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子どもの春休みを利用して、茨城県まで一泊二日で家族旅行に出かけた。
牛久大仏を見て、アクアワールド茨城県大洗水族館に寄ったそのついでに、大洗の海岸で石を拾うのが目的だった。大仏→海の生き物→石。充実のラインナップだ。
ところが、前夜にチリで大地震が起こり、津波注意報が出ているので海岸に近づくなと言われる。
んあ? 石拾えんがな。
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自宅の私の部屋には小さなクローゼットがあって、普段はそこに衣類用のプラスチックケースと、旅行用品、バッグなどを何でも放り込んで、そのまま放置してあるのだが、どういうわけか衣類が全部入らず、部屋の本棚の上などに積まれて埃まみれになっている。着道楽とは無縁に生きてきた自分なのに、衣類がクローゼットに入り切らないとはどういうわけだ、と常々疑問に思ってはいたけれど、どうでもいいから無視していた。季節の変わり目など、プラスチックケースの奥を探っていて、見覚えのない服が出てくることなどざらだ。ひょっとしてうちのクローゼットはナルニアに繋がっているのではないか。
というようなことをいつか喋ったのだと思う。本誌連載「着せかえの手帖」でそのクローゼットを取材したいといって、内澤副部長と杉江部員がわが家にやってきた。
この話は「着せかえの手帖」に書かれるだろうから、詳しくは省くけれども、とにかくふたりはケースの中身をことごとく引っ張り出させ、逐一吟味した後、ほぼ全部捨てるように、と指示して竜巻のように帰っていった。後には無残な服の残骸が山となって残ったのである。
私としても、クローゼットを整理するいい機会になったけれども、ひとつだけどうにも腑に落ちなかったのは、ハイネックのシャツは捨てるか屋内用にせよ、と強く厳命されたことである。内澤=杉江間では、ハイネックは若々しくない、枯れた人が着るものという認識になってるらしい。
私は別にハイネックをこよなく愛するわけではないけれど、ボタンのないシャツはアイロンかけなくていいし、首が人一倍長い私は、冬はいつも襟元がスカスカすることからハイネックが着たくなるのである。冬のTシャツみたいな感覚で着ているわけだが、ふたりはそれはダメだ、枯れているという。
では、夏のTシャツに相当する、カジュアルな冬の服装というのはいったい何なのか。ふたりが帰ってから、われに返って考えてみたがよくわからない。普通にボタンのあるシャツを着ればいいのかもしれないが、そうなるとアイロンが面倒くさいし、依然首が寒い。私が欲しいのは、洗ってそのまま着られる冬のTシャツだ。
いっそハイネックもTシャツみたいにいろんな柄で遊べばいいのに。そうすれば若々しい感じになるのではないか。ためしにチェ・ゲバラや、キース・ヘリングの絵をプリントして売ってみたらどうか。
もういいおっさんだというのに、いまだどんなタイプの服が自分に似合うのかさっぱりわからないと自嘲する私に、内澤さんが間髪入れず「宮田さんはアイビー」と言い切ったのには、そんな簡単に即答できるのかという驚きを超えて、神々しさを感じたのだった。アイビーがどんなものか漠然としかわかっていないが、そういうことなら私はそれで生きていこうと思います。
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にわか絶景本ブームである。書店の旅本コーナーに行くと、表紙が絶景写真の本ばかり並んでいる。私も、先だって絶景ムック本を作るというので、インタビューを受けた。
なんで今さら絶景なんだろう?
日本の絶景本をパラパラめくってみたが、もはや知った場所ばかりで面白くないと思ってしまったのは、私の悪い癖か。旅行エッセイばかり書いていると、まだ誰も知らない場所を紹介してほしいとか、ニッチな旅を開拓せよとかつい裏技的な記事を期待してしまい、普通に凄い場所をスルーしてしまうのだ。
一方、世界の絶景のほうは、なかなか凄くて行ってみたい場所が多い。予算と時間を考えると、そうそう行けない気がするけれど、本を買って夢を膨らませるのは自由だ。
なぜ今絶景が受けるのか、しばらく考えて、別に不思議でもなんでもないと思い直した。いつだってみんな凄いところに行きたいのだ。そろそろみんなB級スポットにも飽きて、揺り戻しが起こっていると考えられる。
そんなわけで先日「世界のヘンテコ建築」という本を出しませんか、という依頼が来たが、断った。そんな企画本はもういっぱいあるし、自分で現場に行かずしてコメントなど書けるはずもない。編集者なら絶景の次を見据えて、世界の高級リゾートに私を派遣するとか、そういう方向でぜひ考えてもらいたいものだ。
本の雑誌2014年6月号から転載