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10年前の読書日記

2012年11月の記
 寝室の床に、本棚からあふれた本が山積みになっている。本棚の前に腰ほどの高さの山塊があるが、それとはべつにベッドの横にも山脈がある。この山脈は半島のように部屋の中央に延び、その先端の岬のところが一段と標高が高くなって、この標高の正体、地層のひとつひとつが、もうすぐ読むかもしれない、読みそうな気がする、きっと読みたくなるであろう本群である。崩れないよう、なるべく大きな本を下に、そこから段階的に版形が小さくなるよう造山しつつ、てっぺんは文庫を積んである。その日の気分に応じて、この半島を採り崩すというわけである。
 しばらく本を読む気力を失って、半島は毛ぼこりにまみれていた。しかし気力も復活してきたので、今月から印象に残った本の読書日記のようなものをつける。
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 以前、矢島新『日本の素朴絵』(ピエ・ブックス)という本を読んだとき、〈築島物語絵巻〉の絵のあまりのヘタクソさにビックリした。人間は餅みたいにブヨブヨになってるし、船はピザ生地みたいだし、建物に窓があるのに壁がないし、その突き抜けたヘタクソさには、よくぞここまで下手に描ききったと、逆に拍手を送りたいと思ったほどだった。
 そして最近出た山口晃『ヘンな日本美術史』(祥伝社)を読むと、さらに驚くべきことが書いてあった。山口氏は、その本でも取り上げられていた〈松姫物語絵巻〉を、ヘタウマではなくヘタクソと、当然な評価を与えたうえで、さらに凄いことを語っている。「当時の割合お金持ちの人が、良い紙に良い墨、良い絵の具で、字なども能書家を雇ってちゃんと書いているのに、絵だけをどうしようもない素人に描かせるという趣向がどうもあったらしい」というのだ。すなわち「こうしたぐだぐだの絵にわざわざお金をつぎ込む」という美意識が、当時あったのだと。
 そう聞いて、胸のすく思いである。
 なにしろ誰がどう見てもありえない絵なのだ。もう完全無欠の下手。これが失敗作ではなくて、わざとそうなるように発注されていたということが、光明のように感じられる。
 山口氏は言うのだ。「下手な人と云うのは、当たり前の事ですが、下手に描こうとは思っていません。一生懸命やってその程度という云うのが見ている人に伝わりますから、そこにいやらしさはありません」。だからなまじ絵をかじった人の絵よりも、見られると。
 一生懸命やってその程度。えらい言われようであるが、たしかに中途半端にうまいぐらいの絵が一番つまらない。下手なら下手で突き抜けていたほうが、ほのぼのしていい。それをわかってわざと素人に発注するという、当時の金持ちの慧眼。そんな発想が、室町時代にすでにあったということに、日本美術の奥深さを感じずにはいられない。
 いや、本音を言えば、日本美術のことはどうだっていい。この話の核心は、私のような人間でも「今までの君は間違いじゃない」と佐野元春に言ってもらったような心地がするということだ。私は絵描きではないが、そんなことは問題ではない。
「そなたの持てる力の範囲内で全力を尽くされよ」「謹んでお受けいたします」
 すでに私は、その絵を描いた素人絵師に感情移入している。

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 海老原嗣生『雇用の常識 決着版』(ちくま文庫)は、最近ふと買って岬に積んでおいた本である。いつ仕事がなくなって職探しをするはめになるか無意識が不安に思っているのか、雇用に関する本をときどき買ってしまう。この本は、読んでみると意外な内容で読み応えがあった。たとえば、
・求人数は20年前よりも増えている。
・しかし大卒者がそれ以上に増えている。
・大企業以外は人件費を増やしている。
・大企業になるほど女性は登用されにくい。
 といったデータや、各種データを分析することにより、
・定年の延長は若手の雇用を圧迫しない。
・年金未納者が増えると、財政はむしろ助かる。
 といった結論が導かれるなど、最近すっかり世間の事情に疎くなった私には目からウロコであった。
 なかでも、近年は家族経営などの自営業が減ったことや、製造業などの二次産業が衰退したことにより、対人折衝の苦手な人がサービス業などの三次産業で働くしかなくなり、結果として「ひきこもり」が増えたという話には、納得させられた。「ひきこもり」の話は他人ごとと思えない。
 それから、うすうすそうじゃないかと感づいてはいたが、転職すればするほど確実に年収は下がるものだそうだ。そりゃそうか。
 ということは、年収アップ以外の目的で転職するのが、本当は正しい。

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 山内マリコ『ここは退屈迎えに来て』(幻冬舎)を読んで、気持ちがどんよりした。地方都市に生まれた女子たちの物語。そこは自分の力ではもはや脱出不可能なぬるい牢獄であり、主人公たちに決して救いは訪れない。その生々しさは、もはや小説というよりルポルタージュのようであり、技巧に優れた文学然とした小説より、よほど読み応えがあるように思う。あまりに身につまされ、頭がおかしくなりそうであった。

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 11月になって突如寒くなった。今年は秋がなかったような気がする。
 小4になる息子が、サンタは父親ではないかと疑っており、そろそろ、毅然としたインフォームドコンセントが必要である。ウルトラセブン最終回のようにドラマチックにいきたい。


(本の雑誌より転載)





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