火野正平さんと沖縄の「こころの風景」
俳優の火野正平さんが亡くなったが、彼の出演する自転車紀行番組「にっぽん縦断 こころ旅」は、視聴者から寄せられた手紙に書かれた「こころの風景」を訪ねる旅番組だった。 火野正平さんが相棒の自転車・チャリオに乗って日本全国を走ったが、多くの人々と出会い、人々の「心の風景」を訪ねて、自転車をアップダウンなどに苦労して漕ぎながら、また自転車を押し歩きしながら、心の交流を行うというものだった。
日本人の「心の風景」に残るのは良い思い出ばかりではない。沖縄では那覇市の旭ヶ丘公園にある小桜の塔を訪ねる。小桜の塔は1944年8月22日に米潜水艦ボーフィン号に撃沈された対馬丸の犠牲者を追悼するためのもので、愛知県のすずしろ子供会が沖縄に子どものための慰霊塔を建てようと一円募金を始め、愛知県知事などの協力を得て子どものための慰霊塔がなかった沖縄に贈られ、1954年の子どもの日(5月5日)に除幕式が行われた。この「こころの風景」の手紙を書いたのは対馬丸の船長の息子さんで、子どもたちなどを無事本土に送り届けることができなかった父の無念の想いを探りたかったに違いない。
火野正平さんが小桜の塔を訪れる「こころ旅」の放映は2016年12月だったが、担当ディレクターのこぼれ話ブログには、「沖縄の人間です。もちろん対馬丸の悲劇は知っていました。でも慰霊碑の存在は知らなかった。今回のお手紙で初めて小桜の塔を知りました。この休みにお参りしたいと思います。」とか、「今回のお手紙は、疎開船が沈められ多くの子供達を含む戦争の犠牲となった方々の慰霊碑が目的ということで、あらためて戦争の悲惨さを痛感させられました。いつも感じるのですが、この番組の構成や正平さんのキャラがそうさせていると思うのですが、手紙にある様々な喜怒哀楽をすべて独特の雰囲気で包んでくれています。コミカルな言動もそうですし、正平さんの幅広い知識にも感心させられます。」などのコメントが寄せられている。
対馬丸には1971年に「艦砲(かんぽう)ぬ喰(く)ぇー残(ぬく)さー」(艦砲射撃の喰い残し)をつくった比嘉恒敏(ひが・こうびん)さんのた両親、長男、姉、二人の姪も乗船していて犠牲になった。この歌は米軍の砲撃から生き延びた自分たちを「艦砲射撃の喰い残し」と自虐的に表現したものだった。
火野正平さんの「こころ旅」の世界は、イスラム神秘主義(神と人間が合一するという考え)の霊魂観を思い出せるようだった。イスラム神秘主義では、精神あるいは霊と、土で創られた肉体を分けて、死後肉体は消えても精神は残ると考える。イスラム神秘主義では、汚れのない人の心は、ほこりや錆のない、よく磨かれた鏡のようであり、真実を映し出すものとされる。
秋川雅史の歌で有名な「千の風になって」の訳詩・作曲を行ったのは、芥川賞作家の新井満だったが、「千の風になって」の詩を書いたのは、アメリカ・ボルチモアのマリー・フライ(1905~2004)で、原題は「Do Not Stand by My Grave and Weep(私の墓の前で嘆き悲しまないでほしい)、1932年にフライの自宅に滞在していた若いユダヤ人女性マーガレット・シュワルツコフさんが反ユダヤ主義の台頭のために、ドイツにいる祖母を見舞うことができないでいるのを慰めるために作ったものと言われている。
視聴者のコメントにあるように、火野正平さんがもつ独特の雰囲気は「こころの風景」が霊魂の世界を呼び起こすようで、特に沖縄という激戦地を訪れる旅は戦争させないイメージを広げるもののように思われた。