79回目の終戦記念日と映画「ホタル」の世界
パリ・オリンピックに出場した卓球の早田ひな選手が「いまやりたいことは?」と尋ねられ、「知覧の特攻資料館に行きたい。今していることが当たり前ではないことを実感したい」と発言していた。野球にしろ、オリンピックにしろ、若い人が活躍する姿を見ると、知覧の資料館展示で見た若者たちの姿を思い浮かべることがある。あの人たちも生きていれば、自分の才能を発揮できただろうにと・・・。
特攻作戦を命じた上官たちは「俺も後からついて行くから」と言って(特攻の)隊員たちを送り出したが、約束を守ったのは終戦時に割腹した大西瀧治郎中将と、沖縄に向かって出撃した宇垣纏(まとめ)中将だけだったと歴史家の半藤一利(1930~2021年)は語っていた。残った上官たちは「戦後の復興に尽くすことが自分の役目」と言い出し、隊員たちとの約束に触れることはなくなったが、前途有為な人々が無謀な戦争の犠牲になった。
高倉健(1931~2014年)主演の映画「ホタル」(2001年公開)を手掛けた降旗康男監督(1934~2019年)は、「特攻隊と言われている人たちは、本当はどんな人たちだっただろう?」という問題意識から映画の企画を行った。
特攻隊員の面倒を見た富屋食堂の主人・山本富子(奈良岡朋子)は、店じまいをする送別会で「特攻隊の方々のことを決して忘れないでください。皆さんでずっとずっと語り継いでください」と挨拶し、記念品を渡した元特攻隊員の孫に「ちょうどこんなんだったんよ。若々しくて素敵なあん人たちから夢も楽しみも奪いとって・・・お国のためだ、万歳、万歳、言って、日の丸振って送り出したんよ。殺したんだ。実の母親だったら我が子に死ねとは言わんでしょう?どんなことがあったって、自分の身を捨ててまで子どもを守るでしょう?」と語りかける。
映画では朝鮮半島出身の特攻隊員も描かれているが、その筋書きを降旗監督が高倉健に話したところ、「じゃあ、韓国に行ってアリランを歌うことになるんですかね」とぽつりと語り、シナリオの提案をしたといういう。
http://www.creators-station.jp/interview/seehim/31408
実際、映画の最後に韓国を訪れた高倉健がアリランを歌うシーンが出てくるのだが、降旗監督自身も故郷の信州で、元特攻隊員から「日本は、戦争に負ける、君たちは戦争に行くな」と言われたことがあるそうだ。後に知覧特攻平和会館を訪ねると、その特攻隊員の隊長が朝鮮半島出身の人だったことが判る。
映画「ホタル」に出演した奈良岡朋子(1929~2023年)は若い俳優たちが戦争の実態を知らないことに危機感を抱き、70歳を過ぎてから戦争について語るようになり、2013年から井伏鱒二の「黒い雨」の朗読公演を行った。東京本郷で1945年3月10日の東京大空襲を経験し、死体の焼け焦げた匂いの中を通学した経験をもち、また新藤兼人監督の「原爆の子」(1952年)に出演した時はロケ地の広島で被爆の爆風によってガラスが突き刺さった家屋を目の当たりにして復興とはほど遠い状態だと思ったという。
元号も令和になって、昭和の戦争の記憶がまた遠のいた印象だが、台湾海峡の危機が強調され、防衛費倍増や反撃能力が閣議決定され、今年は地対艦ミサイルが沖縄本島に初めて配備された。
女優の樹木希林(1943~2018年)は、2016年4月に第二次世界大戦で戦死した画学生ら自画像など遺品を展示する長野県上田市の戦没画学生慰霊美術館「無言館」の成人式で、「私は73歳だけれど、戦争を体験していない。大変だったことを知らない。戦争の記憶が薄れていく人が増えるとまた戦争が繰り返されるのではないか」と危機感を語った。(毎日新聞2016年4月29日)「ホタル」の奈良岡朋子のセリフのように、日本人は戦争の記憶、ずっとずっと語り継いでいかなければならない。