
日本が戦争のできる国に仕立てるコソ泥的手法への「ちょっと待て」
「岸田内閣は反撃能力保有を閣議決定した」。今朝の新聞各紙の1面にこの見出しが躍っているが、戦後安保を転換するような大事な方針が「閣議決定」という少数の人たちの意思だけで決まってよいものだろうか。60年安保の時にクレージーキャッツのハナ肇が「新安保の内容は国民一人一人に不明確にしか理解されていないのに、これじゃコソドロのやり方だ!」と怒っていたことを思い出す。岸田首相の手法は国民の反対の声が大きくならないうちに十分な議論なしに決着したいというものだろう。
相手から攻撃もないうちにミサイル台などを攻撃することが「反撃」に値するのか大変疑問だが、「反撃」すれば相手からも猛烈な報復攻撃を受けることになり、それはもはや自衛の範囲ではない。今回の岸田内閣の決定で日本は戦争をする国になしまった。案の定、中国は「中国の脅威を軍拡の言い訳にしている」と反発し、中国との緊張を招くようになった。軍拡を行えば、周辺諸国との際限のない軍拡競争や緊張を生み出す。周辺諸国との無用な軋轢を生まないことが外交、安全保障だと思う。
200年以上戦争がなかったスウェーデンのウプサラ大学ペーター・ヴァレンステーン教授は、「スウェーデンが戦争をしてこなかったのは、外交的解決はあらゆる人を利する永続する協力を創造する。スウェーデンは歴史から戦争が何の利益をもたらさないという教訓を学び、対話による解決がより現実的、実際的で、合理的であるという姿勢を身につけた」と語る。
昨年7月に放送されたETV特集「白い灰の記憶~大石又七が歩んだ道~」で大石又七さんは「大きい事件が起こっても時間が経てば消えていきますよね。第五福竜丸の事件は(現在その意義が)大きくなっている事件だと私は思うんですよ」と語っていた。生涯で700回を超える講演は、人々の忘却に対する闘いでもあった。「第五福竜丸の事件は大きくなっている」というのは福島の原発事故や、核兵器の小型化、実用化などいまだに続く核軍拡などを意識して、自らの被爆の今日的重要性が高まっているという自覚から発せられた言葉だ。大石さんにとっては核兵器による恫喝を行う北朝鮮と米国の緊張、核抑止や、核の安全保障などの発想もひどく不合理に思えた。いま、大石さんが生きておられたら、原発の新増設や軍備の拡大、反撃能力の保有などは大石さんにとってひどく残念なことばかりだろう。
自民党の中曾根内閣などで官房長官を務めた後藤田正晴氏は、2005年に出した著書の中で「私は昭和5、6年の日本を知っています。満州事変へ突入するときの軍の動き、迎合するマスコミ、それに付和雷同した国民の動きなど、当時の状況と今は何か似ています。日本人の欠点はみんなに流される。『ちょっと待て』『ちょっとおかしいぞ』とはいわないのです。私の世代はもうすぐ滅びます。この5、6年は変革期です。冷静に道を過たず、日本が進むべき道を探っていただきたいと思います。」「このままじゃ日本は地獄に落ちるよ。おちたところで目を覚ますのかもしれないが、それではあまりに寂しい。」(『後藤田正晴 語り遺したいこと』岩波書店、2005年)と語っている。防衛費増額や反撃能力について自民党や公明党内で「ちょっと待て」の議論があったのだろうか。
SIPRI(ストックホルム国際平和研究所)の統計では2019年の世界の軍需企業ランキングでは、上位5位までをアメリカが独占し、中国航空工業集団(AVIC)、中国電子科技集団もトップ10に入っている。台湾海峡をめぐる緊張で、米国や中国の軍需産業が莫大な利益を手にしていることは想像に難くない。われわれ日本を含めて国際社会はこうした軍需企業の思惑に振り回されている。今年1月、米国の軍需産業大手レイセオンのグレッグ・ヘイズ最高経営責任者(CEO)は株主に「東ヨーロッパの南シナ海での緊張はこれら地域の諸国の国防費増額をもたらし、当社はもちろんそこから恩恵を受ける」と語っている。その「恩恵」が莫大なものであることは言うまでないだろう。
2015年5月に亡くなった俳優の今井雅之さんは元自衛隊員で、亡くなったのは集団的自衛権とか平和安保法制が国民的な議論になっている最中だった。
「米国は10年に1回戦争をしなきゃダメな国でしょ、朝鮮戦争、ベトナム戦争、湾岸戦争、イラク戦争……、そしてその度に自衛隊や他の国の軍に武器を売るんですよ。武器っていうのはね、これはボクも自衛隊にいたわけですからわかるんですけど、10年で古くなるんですよ。その在庫処理みたいなもんなんです。そのためには何をせなダメや思いますか?」
敢えてそれに回答を与えるならば、戦争をしたり、戦争や緊張を同盟国にけしかけたりすることだろう。岸田首相は米国の軍産複合体の思惑に乗せられ、日本が戦争をできる国にしてしまった。

