ロシアは招待しないで、イスラエルは招待する広島の平和式典 ―世界は日本の「二重基準」を見ている
広島市は今年8月の平和式典にロシアとベラルーシを招待せず、イスラエルのガザ攻撃は世界の評価が定まっていないという理由で、イスラエルは招待するするのだそうだ。2022年に初めてロシア、ベラルーシを最初に招待しなかった時、「式典に招待することで、ロシアに誤解を与える懸念がある」という理由で、これら二国の不招待を政府と協議して決めたという。(「中国新聞」同年5月20日の記事)。
イスラエルを招待するという今回の措置も広島市は政府と協議して決めたのだろうが、昨年10月7日にハマスの奇襲攻撃があってから日本政府が非難するのは「ハマスのテロや、イランの攻撃」ばかりで、イスラエルについては非難せずにただ自制を求めるばかりだ。イスラエルが1月下旬にUNRWAの職員が昨年10月7日のハマスによる奇襲攻撃に関与していたことを明らかにすると、アメリカやドイツはUNRWAに対する資金拠出を停止したが、日本政府もそれに倣って停止を決定してしまった。まさに主体性なき外交である。
昨年10月にハマスとイスラエルの衝突が始まってからイスラエルはガザの1万人以上の女性を殺害したと女性の地位向上などを目指す国連の機関「UN Woman」は16日に発表した。そのうち6000人が子どもをもつ女性たちで、1万9000人の子どもたちが孤児になったという。イスラエルは明らかにパレスチナ人たちに対する民族浄化を考えているというのが世界の定まった評価だろう。
このイスラエルの姿勢に日本政府は明白に抗議の意思を示すべきだと思うが、アメリカの顔色をうかがってイスラエルを非難しない日本の岸田政権の姿勢は明らかに「二重基準」をもっていて、このような姿勢は世界から敬意をもたれることはなく、現に欧米諸国の不公平な「二重基準」は過激派の暴力の動機ともなってきた。
「イスラエル国家の創設と存続は世界最大の犯罪であり、アメリカは世界の犯罪者の指導者である。イスラエル国家自体が抹殺されねばならない犯罪だ。この犯罪に加担して手が汚れたすべての者はその代償を大きく支払わなければならない。」(オサマ・ビンラディン「アメリカへの手紙」2002年)
広島選出の岸田首相は「核なき世界」をライフワークにしているというが、平和式典に関する日本政府の姿勢を見ると、彼の理念も怪しいものと思えてくる。長崎で被爆した谷口稜曄(すみてる)さん(1929~2017年)は「核兵器と人類は共存できない」と訴え続けた。長崎の原爆で背中一面が真っ赤になる火傷を負い、その自らの様子を撮った写真を手にとりながら核兵器廃絶を世界に訴えた。核兵器と人類が共存できないことを訴えるならば、ともに核兵器保有国であるロシアもイスラエルも招待して核兵器の非人道性を訴えるべきだと思う。
「いのちある限り」
罪もなき少年の頭上に
運命の閃光が炸裂し
悪魔の爪は 永劫に消ゆることなき
深い傷痕を残していった。
絶望と恐怖の交錯する中でのろのろと 月日が流れて行った。
強いられた運命に堪えぬいて
少年はすでに若人となっていた。
死の灰が 日本の空を被い始めた置き
彼は沈黙を破って起ち上った
“原爆の不幸は我々で沢山だ”(抜粋) ―福田須磨子(1922~1974年)