秋分と彼岸花 ―アフガニスタンの独立に理解を示した日本人たち
明日は秋分の日。古代オリエントのアッシリアでは秋分の日に最も近く現れた新月をもって新年とした。彼岸花が咲く季節となった。赤い彼岸花の花言葉には、「情熱」「独立」「再会」などがあるそうだ。
曼珠沙華さいてここが私の寝るところ -種田山頭火
彼岸花が属するリコリスは東アジアの日本や中国から、ベトナム、タイ、ミャンマー北部を、ネパール、パキスタン、アフガニスタン、イラン北部と広範囲に分布する。
アフガニスタンでも彼岸花は咲くのだが、「彼岸」とは「仏教の理想である煩悩を解脱した境地のこと」を言う。解脱という境地はアフガニスタンで信仰されるイスラムとはあまり関係がない。仏教は死後の世界について悟りの境地を得るように修行があるが、その輪廻転生の考えでは人が何度も生死を繰り返し、新しい生命に生まれ変わる。それに対してイスラムの場合は天変地異が起きてこの世は滅びるのだが、その前に死者は全部元の体に戻されて復活し、神の裁きを受ける。生きている間に何をしたか、何を言ったかなどによって人は裁かれる。
19世紀のアフガニスタンは、イギリス、ロシアという帝国主義のくびきの元にあった。アフガニスタンをはじめイスラム世界を帝国主義から救おうとした人物にジャマール・アッディーン・アル・アフガーニー(1838~97)がいる。彼は、イスラム世界の団結で、その救済を考えたパン・イスラム主義のイデオローグだった。名前の通り、アフガニスタン出身という説もあるが、イランのアサダーバード出身とも言われている。
アフガーニーは、イスラムは変革と進歩の宗教と訴え、ヨーロッパ帝国主義の進出に対してムスリムが結束し、また行動を起こすことを主張した。アフガーニーは、ムスリム世界の弱体化や、宗教的停滞をヨーロッパ膨張主義、独裁的支配者の存在、沈滞する既成の宗教界のせいだとして、これらを乗り越えるためにもイスラム世界が結束して、本来イスラムに備わっていた進歩と変革、また理性と科学を復活させねばならないと説いた。
さながら現在のイスラム主義(イスラム原理主義)に通底する考えだが、大川周明のように、日本人でもアフガーニーを評価、理解する人物がいた。大川はアフガーニーのことを「ザイド・ジャマルッディン」と表記しているが、「回教諸国聯盟問題 」と題した文章の中で、
「全回教主義の最も熱烈なる宣伝者として名高きザイド・ジャマルッディンは、回教諸国に向かつて極力政治的同盟を勧告し、是くの如き政治的利害の共通が、回教其のものの興睦に欠くべからざる条件なることを力説した。彼は是くの如き理想を宣伝する為に、挨及(あいきゅう、エジプト)、波斯(はし、ペルシア) 、印度、土耳古(トルコ)を歴遊した。而して時の土耳古皇帝アブドウノレ・ハミッドは、彼の為に一切の後援を惜まなかった」と書いている。
大川と同じような立場をとったのは日本の大アジア主義者たちだったが、その中の一人頭山満(1885~1944年)は、東洋から西洋を駆逐するのは、真の文明を創設するために必要と考え、アジアが一体となって「攘夷」を行い、日本が中心になって獣の文明から人類を救済しなければならないと訴えた。この考えの是非はともかく、現在のように中東イスラム政策について、特にアメリカの政策に追随し、アメリカのアフガニスタンからの関心が離れれば日本も同様になるというのでは情けない。岸田首相は、タリバン政権復活の際に「国際社会に対し日本のリーダーシップが求められる場面だ」とツイートしたが(2021年8月17日)、それから2年間余り何をしたのだろう。「リーダーシップ」ほどの日本の行動は見られていない。先日も書いたが、中村哲医師は「小さくともどんな大国にも屈せぬ独立不羈(他から影響されずに行動すること)の日本」というイメージが欧米列強支配にあえぐアジア民衆を励まし、アフガニスタンでも代々語り継がれた」と述べていた。(『医者、用水路を拓く』40頁)「独立不羈の日本」はどこに行った?