ガザ・レバノンの悲劇をもたらした人種差別的なヴェルサイユ条約、帝国主義を批判する作品を残した日印の詩人たち、また日本の責任
イスラエル軍が全土に激しい空爆を加え、地上侵攻を行うレバノンでは、9月のイスラエルの攻撃開始後3000人以上が犠牲になった。レバノンは、1920年1月に発効したヴェルサイユ条約によって生まれた国だった。1919年1月から開催されたパリ講和会議では、米国の大統領ウッドロー・ウイルソンが有名な14カ条の原則を発表し、世界に民主主義をもたらすために平和を実現すると述べた。ウィルソンは14カ条の中で、秘密条約の禁止、植民地問題の公正な処理、オスマン帝国支配下の民族の自治などを訴えた。
ところが、イギリス、フランス、イタリアのヨーロッパの戦勝国は、植民地の公正な処置を訴えたウィルソンの14カ条を無視するように、戦後も植民地の拡大を考え、そこに人種的なヒエラルキーをもちこみ、連合国とともに戦ったアラブ人やアフリカの人々の民族自決権への切望を裏切っていった。イギリスは、アラブ王国の創設を約束し、メッカのファイサル王子をオスマン帝国との戦争に利用したが、戦争が終わると、フランスとともにアラブ地域を分割し、アラブとの約束を反故にした。
連合国側についた日本も原敬内閣の下、西園寺公望、牧野伸顕らを全権委員としてパリ講和会議に参加し、同年1919年6月28日、ヴェルサイユ条約に調印した。この条約によりって、日本は山東半島の旧ドイツ権益を継承し、赤道以北の旧ドイツ領南洋諸島の委任統治権を得た。英仏による中東地域の分割分割、国際連盟による委任統治はサンレモ会議(1920年4月)によってより具体化するが、第一次世界大戦後の中東秩序づくりにはヴェルサイユ体制に賛同した日本にも責任の一端がある。
この時代、帝国主義諸国の戦争によって植民地を獲得する姿について、詩人の多田不二(1893~1968年)は「世界の一点に立って」という詩を1923年に詠んだが、当時のナショナリズムに基づく植民地主義の非人道的な本質を的確に表している。
「世界の一点に立って」
世界はまどろんでいる/限りなく燃える野望の夜のうちに
どこにやさしい人類愛はひそんで居るのか/どこにうつくしいい眠りは私達を待ってゐるのか/
人類の心に真の平和の充される日はいつなのか/人は何故集団の利欲に支配されなければならないのか/おゝまだまだ血が流れてゐる恐ろしい惨禍の血潮が
私はいま世界の一点に立って/砥がれた多くの爪が相争ふさまを目撃する/人は不自然の詩をすら賛美する/不名誉な世界/人はかれらの正義をどう夢見てゐるのか/愛国心を殺戮の事実によって何故証明しようとするのか/国家的虚栄の奴隷に満足する人々よ/私は 人間の最終の平和は決してあなた方の考へてるやうな仮想された勝利ではあるまいと思ふ
(『多田不二著作集 詩篇』(潮流社)より)
多田の詩は帝国主義の本質を的確に衝いているが、ノーベル文学賞を受賞したインドの詩聖タゴール(1861~1941年)もイギリスのインド支配を強く否定し、その植民地主義を貪欲きわまる国家エゴイズムと見た。
多田やタゴールの作品に見られるように、国家エゴイズムこそが世界の多くの人々を苦しめることはイスラエルが国際法を無視して、パレスチナへの占領を継続して、彼らの民族自決主義を認めず、国際人道法を無視して破壊や殺戮を繰り返すことにも見られる。タゴールは国家エゴをナショナリズムとしてとらえ、国家エゴがやがて破滅の道を歩むと考えた。その後大英帝国が凋落の一途を歩んでいくことをタゴールは見通していたが、イスラエルも同様な道を歩むかもしれない。
タゴールは、19世紀最後の日にベンガル語で「世紀の落日」という詩を書いた。
2
国家の飢えた自我はおのが無知な貪婪(どんらん)より、激しい憤怒のうちに爆発すべし
世界をおのが食い物としたるゆえに
それを舐め、咬み砕き、大口に呑みこみつつ
膨れにふくれ
ついにその不浄の饗宴のただなかに突如天の箭(や)は下り、ふくれた心臓をつらぬく
タゴールは日露戦争でロシア帝国主義に勝利した日本への称賛の想いをもったが、その後ヴェルサイユ条約に見られたようにヨーロッパと同じように帝国主義的野心をもった日本に幻滅するようになった。
ヴェルサイユ条約の結果生まれた国際連盟規約ではオスマン帝国やドイツの支配下にあったアラブやアフリカ、太平洋の島嶼の人々はいまだに自ら統治できる能力をもっていないとして、「文明が発達したヨーロッパ」を信頼し、その支配の下に置かれるとした。このように、ヴェルサイユ条約は白人以外の人々を低位に置く人種差別的性格をもっていた。
フランスはアラブの民族自決権を認めることなく、1920年7月にダマスカスに攻め込んでシリア・アラブ王国を崩壊させ、その元首となっていたファイサル王子を追放した。こうしてレバノンを含むシリアはフランス統治下に、またガザなどパレスチナはイギリスの支配下に置かれ、パレスチナにはシオニストたちが植民活動を行っていった。また、フランスは、キリスト教徒が多かったレバノンを1920年10月にシリアから切り離して独立させ、レバノンでキリスト教のマロン派を優遇する措置をとっていったが、特定の宗派を優遇するフランスの姿勢はレバノンの宗派主義を煽るもので、1975年から90年に至るレバノン内戦など紛争の要因をつくり出した。
中東イスラム世界はヨーロッパ列強がつくり出した呪縛から脱することができていないが、その端緒となったヴェルサイユ体制に参加した日本にもガザやレバノンの混乱について道義的責任がある。日本はパレスチナ国家承認やネタニヤフ逮捕の表明も含めて、現在のパレスチナ情勢が公正なものに改善するよう、政治的にも積極的関与を行う責務があると思う。
表紙の画像は下より