真珠湾攻撃と中村哲医師が語った「相手の体は槍で突いても平気だという感覚」
もうすぐ真珠湾攻撃によって、日本が太平洋戦争の戦端を開いた日である12月8日(1941年)がやって来る。8月6日や8月15日が何の日かは知っている日本人は多いだろうが、「柳条湖事件(1931年9月18日)、盧溝橋事件(1937年7月7日)、真珠湾攻撃の日は? 」となると答えられる日本人は途端に少なくなることだろう。
中村哲医師は、作家・澤地久枝氏との対談である『人は愛するに足り、真心は信ずるに足る』の中で「いま、家内の里の大牟田というところにいますが、あそこには、何百人だか、何千人だか、強制連行で朝鮮人が連れてこられて、何百人も死んでいます。そのことは、もうい皆、忘れてるんですね。拉致という行為そのものは国家的犯罪ですから、北朝鮮が悪くないなどとなどとはひと言も言いませんが、それ以上のことを日本はした。・・・自分の身は、針で刺されても飛び上がるけれども、相手の体は槍で突いても平気だという感覚、これがない限り駄目ですね。」と述べている。
コロンビア大学のキャロル・グラック教授による『戦争の記憶 コロンビア大学特別講義 学生との対話』(講談社現代新書)で、「日本は、原爆投下の原因となった戦争そのものを強調しない。アメリカは、原爆によって犠牲となった人々と、戦後も何十年も続くことになる核の脅威を軽視している。」とグラック教授は語るが、アメリカも日本と同様にその帝国主義戦争を強調することはない。アメリカは米西戦争(1898年)に勝利すると、フィリピン支配を意図したが、フィリピン独立を目指す人々はゲリラ戦で抵抗した。米軍の最高司令官マッカーサー将軍(ダグラス・マッカーサーの父親)配下のジェイコブ=スミス将軍は「10歳以上はすべて殺すこと」という命令を下した。フィラデルフィアの新聞は、「米軍は犬畜生とあまり変わらぬと考えられるフィリピン人の10歳以上の男、女、子供、囚人、捕虜、……をすべて殺している。」と報じたほどだった。この米比戦争(1899~1902年)では20万人から150万人の文民が殺害されたと見られているが、いずれにせよ、大量の虐殺があったことは確かだった。この米比戦争の結果、フィリピンにおけるアメリカの植民地支配が確立された。
中村医師が活動していたアフガニスタンについて言えば、米国は911の同時多発テロで、米国が中東イスラム世界で行ってきた反米テロの要因となったことをすべて自省できなくなってしまった。イスラエルに対して国際法も考慮しない支援、人権侵害を行うイスラム世界の独裁・権威主義体制との協力関係、中東イスラム世界への軍事介入など自省できない姿をずっとさらしてきている。米国、イギリスの空爆が行われていた2010年10月にアフガニスタンを訪問したが、埃に煤け、すり切れた衣服を着て、裸足のアフガニスタンの子どもたちを見ると、訪れてすぐさまこんな貧しい国を空爆する正義があるのだろうかと思わざるをえなかった。
昨年10月7日にハマスがガザから越境攻撃を行い、1170人が犠牲になった。犠牲者全体の3分の1は治安維持関係者で、兵士306人、警察官60人、治安機関シンベト(Shin Bet、シャバク)のメンバーが10人だった。
その後、イスラエルのネタニヤフ首相は「テロリスト」のせん滅を唱え、日本の上川外相(当時)はイスラエルを訪問し、「ハマスのテロを非難する」と発言した。しかし、「ハマスのテロ」を強調する人たちは、ハマスがイスラエルを攻撃する要因について語ろうとしない。イスラエルは、パレスチナの占領を継続し、占領地で入植地を拡大、イスラエルが日常茶飯事的にパレスチナ人たちを裁判にかけることもなく、行政拘禁を行い、ハマスの攻撃が行われた時点で6000人から8000人の被拘禁者がいたと見られている。イスラエルは2014年7月から8月にかけてのガザ攻撃だけでも2000人以上の人を殺害した。
ガザを空爆などで攻撃するイスラエルの姿勢は、中村医師の言葉を借りれば「相手の体は槍で突いても平気」という感覚だが、イスラエルは12月1日現在で、44,429人のガザの人々を殺害した。国際社会のより良い将来をつくるには自らが加害者であったという視点に立って、正確な記憶を継承していくことが必要だ。日本もそうした認識に立つべきべきであることは言うまでもない。正しい知識、視点、他者へのリスペクトが第二次世界大戦の記憶をより正確に、より深く理解するために必要だ。過去を正しく知り、グローバルな視点をもち、互いに尊重し合う。12月8日はよりよい日本や世界をつくるための機会でもある。