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砂漠の英雄「アラビアのロレンス」とパレスチナ百年の悲劇

NHK「映像の世紀バタフライエフェクト」シリーズの「砂漠の英雄と百年の悲劇」は第一次世界大戦から現在に至るパレスチナ問題の淵源と歴史を扱っている。

 第一次世界大戦中のアラブの独立への戦いに対する砂漠の英雄こと「アラビアのロレンス」、トーマス・E・ロレンスの関与が紹介される。T・E・ロレンスは、彼自身が主体的にアラブ人たちを裏切ろうとしたわけではなかった。イギリスは第一次世界大戦中、中央同盟の側に立って戦ったオスマン帝国との戦争に勝利するために、アラブ人を代表するようなメッカの太守シャリーフ・フサイン(預言者ムハンマドの末裔)の息子ファイサルとの交渉役に中東地域の考古学者で、アラビア語に堪能であったT・E・ロレンスを交渉役に任命した。イギリスは、アラブの支持を得るためにアラブに独立国家建設の約束をするが、他方でユダヤ人にも戦費を提供してもらうために同じ土地にユダヤ人国家建設を約束した。


映画「アラビアのロレンス」より

「アラブ人を欺いてきた私は名誉となることは何一つしていないと思う。多くの人間を火中に投じて最悪の死に至らしめることになったのだ」-T・E・ロレンス

「戦争が終わればアラブ人に対する約束など反故同然の紙切れになってしまうことは私には分かっていた。私はどんな罪に問われるだろうか」―T・E・ロレンス

 第一次世界大戦以前、パレスチナではアラブ人とユダヤ人は共存し、アラブ人とユダヤ人たちは相互に結婚式など祝いの席に招き、アラブ人は夏にはブドウ畑でユダヤ人と食事を共にしていた。共存していた時代のユダヤ人は、パレスチナにユダヤ人国家を建設しようとするシオニストとは異なるが、第一次世界大戦が終わりエルサレムに乗り込んできたのはシオニストたちであった。イギリスには誠実にアラブ人国家建設を支援するつもりは毛頭なく、オスマン帝国のアラブ人地域で採れる石油や、小麦などの穀物への戦略的、経済的野心があった。

「年が経つにつれ私は自分が演じた役割をますます憎み軽蔑するようになった。もしも私がアラブ人に対するイギリスの取り決めをなくすことができたならばいろいろな民族が手をとり合う新しい共和国を作れたのかもしれない」-T・E・ロレンス

 ユダヤ人のパレスチナへの移住を加速させたのは、ナチス・ドイツによるユダヤ人迫害であり、ナチスによるユダヤ人虐殺によって欧米世界ではユダヤ人の国家建設に対する同情や支持が強まっていった。しかし、パレスチナ人の間にはヨーロッパの罪の代償をなぜ自分たちの犠牲の上に贖うのかと想いが強かった。

「我々はナチスの行いの対価を支払わされています。我々は難民を戦士という新しい人間に変えるのです。家のない難民が自由の戦士になるのです。」―ヤーセル・アラファト(PLO〔パレスチナ解放機構〕議長)

ヤーセル・アラファト

 軍事的に敵に太刀打ちできないパレスチナ人たち、あるいはアラブ人たちが自爆攻撃という手段に出るのは日本人の岡本公三たちが1972年5月30日にテルアビブ・ロッド空港で起こした襲撃事件が契機だった。

「今回の作戦はアラブ世界に対して大きな勇気づけを行うであろう。これがPFLP(パレスチナ解放人民戦線)」と我々の一致点であった。」
「これから同じような事件はニューヨークで、ワシントンで次々起こる。ブルジョワの側に立つ人間はすべて殺戮されることを覚悟しておかなければならない。」―岡本公三

 岡本の予言のように、自爆テロは21世紀に入ってニューヨーク、ワシントンで、さらにロンドン、パリ、マドリードなどで次々と発生していった。パレスチナ問題をつくったイギリスをはじめとする欧米の理不尽な中東イスラム世界への関与はイラク戦争や、またアメリカのイスラエルへの絶対的支持の姿勢に依然として見られる。特に国際法に違反して占領を継続し、パレスチナ人の人権を侵害するイスラエルに対するアメリカの支援は欧米の不正義として、イスラム世界と欧米の対立構造の中心にあり続け、一向に改善される様子がない。

※紹介した発言は番組より

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