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ユダヤ教に敬意を示したイスラム ―オスマン帝国下のユダヤ人

 第一次世界大戦後、イギリスの委任統治が始まるまで現在のパレスチナはトルコのオスマン帝国領だった。オスマン帝国の下では、ムスリムとユダヤ人の暴力的衝突などまったくなかった。ユダヤ人は支配層にはなれなかったが、信教の自由はオスマン帝国のミレット制という自治制度の下で保障されていた。

 元々、イスラムにはユダヤ教に対する敬意があり、アブラハムというイスラエル民族の始祖はイスラムではイブラーヒームという預言者の一人だし、ヘブライ民族(ユダヤ人)の指導者モーセ(モーゼ)もムーサーというイスラムの預言者の一人となっている。また、ユダヤ人の名前は、ムスリムの名前にもなっていて、ムスリム名のスレイマンはソロモンから由来している。トルコで外相・首相を務めたアフメト・ダウトオール(1959年生まれ)という政治家がいたが、ダウトオールは「ダビデの息子」の意味だ。

ダウトオール氏 https://www.cnn.co.jp/world/35082174.html

 オスマン帝国のユダヤ人たちは、ヨーロッパにあった反セム(ユダヤ)主義とは無縁で、ほぼ制限なく生活することができた。19世紀ヨーロッパではユダヤ人たちは、ゲットーと呼ばれる居住区に押し込められ、財産の所有も認められなかったが、オスマン帝国では、独自の教育を受け、出版活動を行い、新聞を出すこともできた。

 ユダヤ人たちのオスマン帝国の社会・経済発展への貢献には特筆すべきものがあり、15世紀の終わりから16世紀はじめにかけてユダヤ人がスペインやポルトガルから追放されると、オスマン帝国はユダヤ人たちの能力を国の利益として役立てようとした。ユダヤ人たちは貿易や商業、外交などオスマン帝国の多くの分野で顕著な活躍をしている。

イスタンブールのネヴェ・シャローム・シナゴーグ https://www.timesofisrael.com/jews-want-to-see-a-future-in-turkey-but-doubts-linger/

 15世紀にラビのアイザック・アシュケナージはヨーロッパのユダヤ人のコミュニティにオスマン帝国のエディルネに移住するように訴え、また1453年にコンスタンティノープルを征服したスルタン・メフメト2世は、帝国の新しい首都であるイスタンブルに非ムスリムの人々の移住を呼びかけた。多様なコミュニティがもたらす様々な知識や技術を期待したのだろう。1478年までに1万人余りのユダヤ人がイスタンブルに住んでいたと推定されている。

https://rpl.hds.harvard.edu/faq/judaism-turkey 

 1492年にレコンキスタ(国土回復)によってユダヤ人がイベリア半島から追放されると、オスマン帝国第8代スルタン、バヤズィト2世(在位1481~1512年)はガレー船をスペインのカディスとセビリアに送って、ユダヤ人に救援の手を差し伸べた。彼は、ユダヤ人を受け入れることによって国力を強化しようとしたのだった。イベリア半島からユダヤ人が追放された翌年である1493年にデヴィッドとサミュエルのナフミアス兄弟はイスタンブルにイスラム世界最初の印刷所を創設した。オスマン帝国にあって、ユダヤ人たちは、キリスト教ヨーロッパとの通商や、また毛織物業などに従事していった。銃器、蚕、染色、両替、さまざまな分野の貿易、さらに皮革加工、繊維染色などの多くの新しい分野はユダヤ人から始まった。

 時代は下って1981年にノーベル文学賞を受賞したノーベル賞受賞者のエリアス・カネッティ(1905~94一年)は、世紀の変わり目の幼年時代に、彼の生まれたブルガリアの都市ルスチュク(ルセ)の平穏と多様性を次のように表現している。


「ルスチュクは素晴らしい都市でした。最も多様な背景の人々がそこに住んでいました。毎日、7つか8つの言語を聞くことができました。ブルガリア人の他には、近所にはトルコ人がいました。その隣にはスペインのユダヤ人であるセファルディム、そしてギリシア人、アルバニア人、アルメニア人、そしてジプシーがいました。」


エリアス・カネッティ https://newcriterion.com/article/becoming-elias-canetti/

 こうした観察の中にカネッティが『群衆と権力』で説いた他者理解の上に成り立つ共存への希望を見てとれる。カネッティは、「レコンキスタ」によってスペインからオスマン帝国に逃れたユダヤ人の子孫で、ルスチェクはオスマン帝国の領土だった。彼は、ブルガリアではまったく差別を知らずに育ち、スイスの学校に入って初めて自分が差別される存在だと知ったと語っている。カネッティのような理解をもてば、他者の上に無差別に爆弾を落とすようなことはないだろう。やはり他者を排除・排斥し、オスマン帝国にあった共存システムを壊したシオニズムというナショナリズムは罪深いと言わざるを得ない。

ブルガリア ルセ(ルスチュク) https://www.istockphoto.com/jp/%E5%86%99%E7%9C%9F/ruse-bulgaria-photos

※表紙の画像はバラト・イスタンブールのユダヤ人地区
https://www.lartisien.com/blog/a-4-day-itinerary-to-istanbul/


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