異文化、異文明との不断の接触が科学の発展をもたらす ―イスラム医学繁栄の時代
今年もノーベル賞受賞者の発表が行われる季節となった。ノーベル生理学・医学賞は新型コロナウイルスのmRNAワクチンの開発で大きな貢献をしたハンガリー出身で、アメリカの大学の研究者カタリン・カリコ氏と同じくペンシルベニア大学のドリュー・ワイスマン氏が選ばれた。
ノーベル生理学・医学賞の対象はヨーロッパ医学への貢献が基準となるが、中世世界ではイスラム医学が大いに発展した。
アッバース朝時代(750~1258年)、ムスリムの医師たちは、西欧世界では忘れられていたギリシア、ローマの医学書を精力的に翻訳した。
中央アジア・ブハラを首都とするサーマーン朝(873~999年)に生まれたイブン・スィーナー(980~1037年)は大著『医学典範』を著わし、医学の概念、身体の個々の器官と病気、その治癒法や薬剤などについて解説した。これは17世紀までヨーロッパで医学書として用いられた。アブー・バクル・ラーズィー(ラテン名:ラーゼス、864~925・32)は、バグダードの病院を運営し、小児病の研究に力を注ぎ、天然痘とはしかの違いについて解説した。アンダルスの外科医アル・ザフラウィー(936~1013年)は解剖の書を著わし、外科手術の器具を図説した最初の医学書で、12世紀にクレモナのジェラルドがラテン語に翻訳し、ヨーロッパでは5世紀にわたって用いられた。
中国の薬用植物中心の本草学に加えてイスラム世界では錬金術の応用から薬用鉱物や、また牧畜・遊牧文化から薬用動物の開拓が行われた。イブン・スィーナーやラーズィーも彼らの医学書の中に本草の章を設けて、化学的な解説を行った。たとえば、ラーズィーは鹿角(炭酸カルシウムを含む)を歯磨き剤に用いることを提唱している。
薬学の分野で特筆すべきはアンダルスのマラガ出身のイブン・バイタール(1248年没)で、セビリアで学んだ後に、東方に薬用植物の探索に出かけ、エジプト、パレスチナを含む広大な地域で植物、鉱物、動物から採れる薬品を採取して、それを主著である『薬事集成』に著わした。これは、アラビア語で本草学を扱った最大の書物とされ、1400種近くの薬をアルファベット順に解説した。彼はまたギリシアのディオスコリデス(90年没)の『薬物誌』の注釈も行った。
イベリア半島のコルドバは、スペインやヨーロッパの文明の中心となり、医学をはじめ多くの学校が創設された。また病院、天文台なども建設され、コルドバ大学は科学研究の中心となり、医学、薬学、科学、天文学、数学、植物学研究の学者たちがヨーロッパ各地から集まるようになった。
こうして蓄積されたイスラム医学をヨーロッパに紹介した人物にチュニジア生まれのコンスタンティヌス・アフリカヌス(1020~1087年)がいる。彼はアラビア語の医学・薬学書をラテン語に訳し、西欧思想にも多大な影響を与えた。彼は当時ヨーロッパでは最も整備された医学校をもつイタリアのサレルノ大学で学び、モンテ・カッシーノ修道院で37冊のアラビア語の医学書をラテン語に翻訳した。彼の研究成果はヨーロッパに瞬く間に広がり、16世紀までヨーロッパ医学の教材とされた。
医学をはじめイスラム文明のダマスカスやバグダードが栄えたのは、ヨーロッパやイラン、インドなどと商業、学芸などを通じて不断の交流があり、国際的都市として発展したからだった。異文化、異文明との不断の接触がイスラム世界の繁栄をもたらした。アメリカのトランプ政権による国境の壁、ロシアのウクライナ侵攻など世界は国家の壁が高くなっている印象だが、ナショナリズムの高まりは決して人類のためにはならないことをイスラム医学発展の歴史も教えている。