コピペの言葉では戦没者への敬意が伝わらない ―岸田首相の全国戦没者追悼式での式辞
俺は殺されることが嫌ひだから
人殺しに反対する、
従って戦争に反対する、
人間が人間を殺していゝと云ふことは決してあり得ない
だから自分は自分は戦争に反対する
戦争はよくないものだ。
戦争をよきものとは断じて思ふことは出来ない
(武者小路実篤「戦争はよくない」抜粋)
8月15日の全国戦没者追悼式で岸田首相が述べた式辞が昨年とほぼ同じ内容、コピペではないかということが指摘されている。(朝日新聞デジタル(社説)「『終戦の日』 心に響かぬ首相の誓い」など)
「祖国の行く末を案じ、家族の幸せを願いながら、戦場に斃(たお)れた方々。戦後、遠い異郷の地で亡くなられた方々」という部分が昨年とまったく同じだったほか、日本に帰還していない遺骨については、昨年は「未だ帰還を果たされていない多くのご遺骨のことも、決して忘れません。一日も早くふるさとにお迎えできるよう、国の責務として全力を尽くしてまいります」というのが、今年は「未だ帰還を果たされていない多くのご遺骨のことも、決して忘れません。国の責務として、ご遺骨の収集を集中的に実施し、一日も早くふるさとにお迎えできるよう、引き続き、全力を尽くしてまいります」だった。「一日も早く」という表現を毎年繰り返すようではいつまで経っても実現しないことを言っているようなもので戦没者に対する誠意や礼に失している。
日ごろの岸田首相の答弁などに接していると、下のルーミーの詩の一節を思い出してしまう。
永遠の御方への最上の贈り物とは
選び抜かれた善なる言葉をまとう吐息
贈り物の後には神の恩寵がもたらされよう
慈悲深き御方はありとあらゆる恩寵もて
善なる言葉に報いたもう
内閣支持率が下がっているのも、岸田首相の情感のこもらない、魅力を感じさせないスピーチにも背景があると思う。戦没者追悼式で首相など政治の指導者は冒頭の武者小路実篤の言葉のように、本来戦争の惨禍という過ちを繰り返さない誓いを自分の言葉で追悼の真心込めて行うべきで、首相が不戦の誓いすらを自分で考えることができないというのであれば、それこそ日本の安全保障に関わる問題だ。同じ敗戦国のドイツの大統領は次のように世界史に残るような名演説を行っている。
「過去に目を閉ざす者は結局のところ現在にも盲目となります。非人間的な行為を心に刻もうとしない者は、またそうした危険に陥りやすいのです。」『「荒れ野の40年」ヴァイツゼッカー大統領演説全文・永井清彦訳(岩波書店)』)
「麻生副総理『戦う覚悟』発言に“ヒゲの隊長”佐藤正久氏『日本は覚悟足りていない』の意図 『イラクに行った時は非常に辛かった』」という記事がある。
その中で佐藤氏は「イラクに行った時に非常に辛かったのは、政府の命令で行くにも関わらず、“市ヶ谷の自衛隊の正門に反対派がいるので裏門から出ろ”と言われたこと。なんとか出られたが、成田空港は“自衛隊が制服や迷彩で来るのはダメだ”ということで、車の中でスーツに着替えた。さらに、日本の航空会社、JALもANAも搭乗拒否だった。世論が賛成を上回っていないということと、テロに遭うかもしれないなどいろいろあったかもしれない。」と語っている。不合理なイラク戦争を真っ先に支持し、米国へのテロの要因となっている米国の中東イスラム世界での軍事介入につき合うのに国民の理解は得られようがなかった。私の周辺でも「アメリカ、おかしい」と語る人は多かった。日本はさらに米軍との軍事的一体化を進め、岸田首相は核廃絶を唱えながら核抑止を無批判に支持している。政府が不誠実ならば、日本が経験した戦争の大惨禍を繰り返すことにもなりかねず、下のルーミーの教訓のようになるだろう。
「王も高官たちも欺瞞に耽り
裁判官も故意に誤った審判を下す時
最も高く、最後の審判を保持する神から
彼らに同様の痛みと災難が降り掛かる
その時の彼らの何と哀れなことか」 -ルーミー(西田今日子訳)
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?