石橋湛山、ディズレーリとは異なる百田尚樹氏の「保守主義」
作家の百田尚樹氏やジャーナリストの有本香氏らが新政党「日本保守党」を起ち上げるのだそうだ。政党のフォロワー数は20万人を超えたそうだ。百田氏の日ごろの言動にはまるで関心がないが、ざっと見ただけでもNHKの経営委員だった時に南京大虐殺を否定、「(沖縄・米軍ヘリ機材落下は)全部嘘」「沖縄の2つの新聞は潰さないといけない」などと発言していた。『日本国紀』という歴史本を書く人にしては歴史解釈にウソが多く、歴史を書く人が歴史的事実を歪曲、修正したら、それは歴史ではなく、単なる「読み物」だ。
自民党の文化芸術懇話会で2015年6月、百田尚樹氏は、「反日」とか「売国」とかいう言葉を使いながら、「日本をおとしめるとしか思えない記事が多い」と語ったという。「反日」「売国」は、戦前の「非国民」という表現に通ずる言葉で、こうした言動は、かつてアインシュタインがイスラエル極右による活動がユダヤ教のイメージを損なうと指摘したように日本や日本人のイメージを低下させるもので、汚く響く。懇話会の代表は今度の内閣改造で新しく防衛相となった木原稔氏で、木原氏は旧統一教会と親密な関係にあった人物だ。対中国観で木原氏と百田氏は気脈が通じるということだろうか。
ところで、歴史家の半藤一利氏は保守リベラルの良心とも言われた石橋湛山元首相の生き方は福沢諭吉の「その志を高遠にして学術の真面目に達し、不覇(ふき)独立をもって他人に依頼せず、あるいは同志の朋友なくば、一人にてこの日本国を維持するの気力を養い、もって世のために尽くさざるべからず(志を高く遠くに持ち、学術の真髄を究め、真の独立をして他人に頼らず、もし志を同じくする友がいないなら、自分一人でも日本国を背負う気概を持ち、社会のために尽くさなければなりません。)」という言葉を血肉化したものだったと書いている。(半藤一利『戦う石橋湛山』)「不羈独立」は昨日紹介した中村哲医師も好きな言葉だった。
百田氏のように、「国家」を強調すれば、他の諸国と摩擦や対立を招き、国内では「個」が犠牲にされかねない。戦前の「非国民」呼ばわりとまったく同様に、日本政府を批判したり、中国との友好を唱えたりすれば「反日」というレッテルが即座に貼られる狭量な傾向が特に百田氏のような人物が注目されるにようになって日本では顕著に見られるようになった。
「真の保守政治家は、善には保守的、悪には急進的である。その意味は革命家なのだ。」
(ベンジャミン・ディズレーリ『演説』)
http://todays-list.com/i/?q=/naVejfbh/1/4/
このディズレーリ(1804~81年)はイギリスの保守政治家であり、1875年にエジプトのスエズ運河株を買収したり、ヴィクトリア女王にインド女帝の称号をおくりインド帝国を発足させたりするなど、イギリスの帝国主義的な外交を担った人物だが、イギリス国内では保守党の理念と政策を基礎づけた政治家である。イギリスの保守党を議会制度に適応した民主主義的な国民政党にすることを目指し、公衆衛生法や労働組合法など社会政策に力を入れ、労働者たちに配慮した政策を実現した。そうした保守の良識は百田氏の日ごろの言動からは見てとることができない。
「権力の唯一の義務、それは国民の社会福祉を保障することだ。」(ディズレーリ)
Power has only one duty: to secure the social welfare of the People.
石橋湛山氏は、1954年(昭和29年)に鳩山一郎内閣で通産大臣となり、米国の反対にもかかわらず、共産党政府が支配する中国との民間貿易協定を結んだ。米国は中国との通商関係の促進は対日援助計画に支障をきたすという圧力をかけてきた。東西の軍拡競争に危機感を覚えた彼は、冷戦構造に風穴を開けることを目指したが、東西冷戦は、軍備で何事も決着をつけようとした戦前の帝国主義と本質的には変わらないというのが石橋氏の考えであった。彼はイデオロギーを超えた外交を目標とし、米国だけに偏らない外交を理念とし、良識的な保守の外交理念を訴えていた。米国の軍事力を頼りに中国と対決しようとする戦前の帝国主義のような百田氏とは真逆な発想だ。
石橋氏は、「資本は牡丹餅(ぼたもち)で、土地は重箱だ。入れる牡丹餅がなくて、重箱だけを集むるは愚であろう。牡丹餅さえたくさんにできれば、重箱は、隣家から、喜んで貸してくれよう。しかしてその資本を豊富にするの道は、ただ平和主義により、国民の全力を学問技術の研究と産業の進歩とに注ぐにある。」と述べている。防衛費を倍増しようとする日本にはぼたもちをつくる学校にエアコンすらも十分になく、また大学の研究費は年々削られ、学問技術研究の土台すらもぐらついている状態だ。