ヨーロッパに伝わったイスラム世界の庭園文化
ヨーロッパのガーデニングの起源はペルシア(イラン)であったと考えられている。その起源は、キュロス大王の時代で、池や水路を設け、プラタナスやイトスギを、また果樹ではブドウ、モモ、ザクロ、ナシ、デーツ、イチジクなどを植え、ジャスミンで庭園に香りを添えた。
アラブがペルシアを征服し、750年にアッバース朝が成立すると、ペルシア文化に影響を受け、庭園の様式もペルシアに倣って造られるようになった。砂漠の民であるアラブにとって、緑のオアシス、日陰、水は貴重であり、そのコンセプトが庭園にも採りいれられたが、それはペルシアの庭園にすでにあった要素でもあった。836年に建立されたとするイラクのジャウサク・アル・ハーカーニー宮殿はチグリス川沿いのサーマッラーにあり、庭園には長方形の池、噴水、花が添えられた水路があった。
イスラム世界の為政者によって造園が重視されたのはそれがコーラン(クルアーン)に描かれる楽園のイメージと重なるためだ。苛酷な砂漠で生まれたイスラムという宗教では、天国は一般に「楽園janna」と呼ばれるが、この世において敬虔で、善き行いを行った者たちが住むところとされる。楽園では、こんこんと湧き出でる泉のほとり、緑したたる木陰で、うるわしい乙女にかしずかれ、たくさんのおいしい食物や酒や飲み物を心ゆくまで味わい、なんの気遣いもない生活を送る(『イスラム事典』平凡社)。
イスラムの庭園技術はアンダルス(イスラム支配のスペイン)を通じてヨーロッパにももたらされた。庭園建設はアンダルスで特に盛んであった。コルドバ郊外の宮殿マディーナト・アル・ザフラーは後ウマイヤ朝時代のアブドゥル・ラフマーン3世の時代に建立されたが、庭園は水路によって4つに分割されている。これがイスラム庭園の典型とされ、ペルシア語で「チャハールバーグ (4分庭園)」と呼ばれている。庭園には日陰が多くつくられ、噴水が設けられ、その周辺は歩道と緑によって覆われていた。
スペイン・グラナダに住むことが「生涯の夢であった」と語った作家の堀田善衛は、アルハンブラ宮殿の庭園について次のように語っている。
「宮殿は、舟型の丘の上に位置していて、四季を通じて雪を頂くシエラ・ネバータの山脈から流れ下る二つの川にはさまれ、最高の導水技術を駆使して作りあげた、大理石とタイル、水と煉瓦と木材と、何十種類かの樹木と花卉(かき)による庭園のアラベスクのようなものである。砂漠の民にとっては、”水”は最高の贅沢であり、、二つの川の源泉の近いところから、長大な導水路を山腹に作り込んで、モーターも何もない時代に、この宮殿内と庭園とに、数々の噴水がしつらえられていた。」
(堀田善衛「グラナダにて」『バルセローナにて』(集英社文庫)より)