イスラエル国家の破綻を予見した科学者アインシュタイン
著名な科学者のアルベルト・アインシュタインは、イスラエルが独立を宣言するおよそ1カ月前の1948年4月10日に、ニューヨークに本部を置く「イスラエルの自由のための闘士のアメリカの友」というイスラエル独立を支援する組織の指導者シェパード・リフキンに宛てた短い手紙の中で次のように書いている。
「本当の、最終的な大きな破滅(catastrophe)がパレスチナでユダヤ人に降りかかった場合、その最初の責任はイギリスにあり、2番目の責任は私たちユダヤ人の中から生まれたテロ組織にあります。私はこれらの誤った犯罪者と関わる人たちと会う気はありません。」
リフキンはイスラエル独立に、輝かしい科学の功績をもつユダヤ人のアインシュタインの支持を得たかったが、その目論見は見事にはずれた。アインシュタインはリフキンへの手紙を出す前日の4月9日に、ユダヤ人の極右の武装集団「イルグン(現在ネタニヤフ氏が率いる『リクード』の母体)」や「シュテルン・ギャング」がデイル・ヤシンというパレスチナのアラブ人村で虐殺事件を起こし、少なくとも107人のアラブ(パレスチナ)人が犠牲になったことに衝撃を受け、これに憤慨した。アインシュタインはハンナ・アーレントなどと共に、「ニューヨーク・タイムズ」紙に意見広告を出し、これらの組織のことを「ファシスト」と形容し、ナチス・ドイツがユダヤ人に対してことと同様なことを、これらの極右組織は行ったと非難した。
アインシュタインは、第一次世界大戦が始まった1914年にヨーロッパ大陸の国々が結集、統合することによって、ヨーロッパの平和を考え、「ヨーロッパへのマニフェスト」を発表した科学者の一人だった。
イルグンは、1938年にエルサレムのアラブ人市場で爆弾を爆発させ、10人のアラブ人を殺害し、さらに同年地中海に面するハイファの市場ではイルグンが仕掛けた地雷で70人のアラブ人が犠牲となった。これらの事件を受けてイギリス植民地省は1939年2月23日にイギリスが委任統治を放棄して、アラブ人の権利を守る国家独立を構想することを明らかにする。このイギリスの姿勢に激怒したイルグンは、パレスチナ警察のユダヤ人部門の責任者であったラルフ・クランズを1939年8月に爆殺した。イルグンは1946年7月22日のエルサレムでキング・デーヴィッド・ホテル爆破事件を起こし、アラブ人、イギリス人など91人が犠牲になった。イスラエル独立に至る過程で英米調査委員会は、イルグンを「テロ組織」と認定したが、このイデオロギーをもつネタニヤフ氏は、15年間もイスラエルの首相職にあり、多数の市民の犠牲を伴うガザ攻撃を繰り返している。
イスラエルでは3年半に5度も総選挙が行われるなど、政治が機能不全に陥り、また「カハナチ」と呼ばれるイルグン=リクードよりも極右のネオ・ナチ政党も議席をもつようになっている。ネオ・ナチが統治するようになったらイスラエル国家はどうなるか、アインシュタインが予見したように、イスラエルは国家の破滅を迎えるのかもしれない。アインシュタインの考えではイルグンのようなテロ組織が生まれた時点で、パレスチナにおけるユダヤ人国家構想は終わっていた。
イスラエルは建国から2015年までに72万人の国民が国外に流出した。理由とすれば、イスラエル国家に適応しない、繰り返されるガザ攻撃など不安定な安全保障の問題などがある。国民の流出はシオニズムのイデオロギーと相容れるものではなく、国民の流出もまたシオニズムの破たんを示している。
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