モカ・コーヒーの国の親日と、イスラエルとの闘争を追求するイエメン・フーシ派
日本にコーヒーが渡来したのは、1700年頃にオランダ船によるもので、それはイエメン産の「モカ」だった。コーヒーの語源となったアラビア語の「カフワ」は、本来はワインの別称で、「人々の欲望をそぐ」という意味がある。コーヒーは人の睡眠欲を奪うことからこの名称がつけられたとされる。15世紀の初頭にイエメンのイスラーム神秘主義教団が修行に覚醒作用のあるコーヒーを援用するようになった。コーヒーは社交の媒体ともなり、1511年にメッカでは喫茶店(マクハー)によって社会的秩序が乱れることへの懸念からコーヒー禁止令も出たことがあった。(『岩波イスラーム辞典』より)
和歌山県沖で1889年に沈没したオスマン帝国の軍艦「エルトゥールル」号の生存者のために日刊紙の「時事新報」は義捐金を募ったが、記者の野田正太郎は、それを携えて戦艦「比叡」に乗船してイスタンブールに向かうが、途中イエメンのアデンを訪問した。彼はアデンの様子を「山々が赤く、砂が白く、土地は乾燥し、草の背が低い。」と表現し、肌の黒い現地人が白い羊たちの番をしていると記している。日本の海軍兵士たちは初めて接するダチョウの卵などを見て驚いたらしい。野田はアデンで現地の人々がコーヒーを口にするのも目にしている。このコーヒーがイエメン産のモカ・コーヒーであることはいうまでもない。
イエメンの王族が日本を最初に訪問したのは1938年5月の代々木モスク(現東京ジャーミィ)の開所を祝うためだった。このモスクの初代イマームのアブデュルレヒト・イブラヒム(1857~1944年)は日本人を「アダムの子らのうちで最も高潔な人々」と形容した。イエメン王族を日本に招待したのは、アジアの連帯によって欧米植民地主義への対抗を考えた頭山満など日本の右翼や軍部の対イスラーム世界工作の意図があった。
イエメンに2019年8月に入った写真家の森佑一氏はイエメンにある親日感情は日本車など日本の技術がその背景になっているのではないかと述べている。(森佑一「イエメン『幸福のアラビア』いつの日か」)
アフガニスタンで「世界で最も頭が良いのは日本人とドイツ人」という評価を聞いたことがある。アフガニスタンを走る車のほとんどがと言ってもよいほど日本の中古車だ。ドイツ人の「頭の良さ」もやはりベンツなど高級車のイメージだろう。山岳地帯が多いイエメンでは日本の四輪駆動車は垂涎の的だ。
イエメンのJICA事務所が出している「イエメン隊員機関紙」(2007年11月)によればイエメンでの日本語学習熱はアニメや漫画から入っているようだ。ほかにもイエメンに滞在経験のある人々の観察では日本による道路や学校などインフラ整備などが親日感情の背景にある。アメリカとは異なる平和的関与が評価されている。
10月7日にハマスがイスラエルを奇襲攻撃して以来、日ごろイスラームとあまり縁がない方々と会う機会が生まれた。そこで聞かれるのはイスラームのイメージというと、後藤健二さんを斬首したISと重なるものだった。しかし、私が多く接してきたのは日本に好印象をもつ気さくなアラブ・イスラーム世界の人が多かった。イエメンのフーシ派が26日、イスラエルの富豪が所有する企業が運行するタンカー「セントラル・パーク」を乗っ取った。フーシ派はイエメンの北部、中部を支配する「イエメン軍」とも言ってよい武装勢力だ。ガザ紛争は世界の海運にも重大な影響を及ぼすようになり、国際社会はガザ停戦への気運をいよいよ盛り上げなければならなくなった。
松山善三が作詞し、美空ひばりが歌った「一本の鉛筆」は鉛筆があれば、一人でも平和や反戦を訴えることができるという内容で、作曲は黒澤明監督の映画音楽を手がけた佐藤勝だった。美空ひばりは1974年8月に開催された第1回広島平和音楽祭でこの歌を歌った。彼女は横浜大空襲に遭い、父親は徴兵されたという戦争体験をもつ。ステージから観客に向かって「幼かった私にもあの戦争の恐ろしさを忘れることができません」と語りかけた。ガザで悲惨な戦争が続く今こそ一人一人が「平和」「反戦」を訴えることが求められていると思う。
1.あなたに 聞いてもらいたい
あなたに 読んでもらいたい
あなたに 歌ってもらいたい
あなたに 信じてもらいたい
一本の鉛筆があれば
私は あなたへの愛を書く
一本の鉛筆があれば
戦争はいやだと 私は書く
(中略)
一本の鉛筆があれば
八月六日の朝と書く
一本の鉛筆があれば
人間のいのちと 私は書く
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