谷川俊太郎さん ―死んだ男の残したものは
詩人の谷川俊太郎さんが亡くなった。「善と悪」のような二分法で世界を見てならないと語っていた。世界の紛争は「善悪二元論」によって多くの場合戦われているが、その背景にあるのは、自らは正義で、敵は悪とするナショナリズムの考えだ。ガザやレバノンの戦争もその正当化の論理として善悪の二元論が用いられ、ナショナリズムを高揚させるために、こちらの側に正義があることが強調される。米国の対テロ戦争もそうだった。イスラエルのネタニヤフ首相はハマスやヒズボラなどとの戦いに「テロリストせん滅」を唱える。しかし、現在のガザ戦争は昨年10月7日のハマスの奇襲攻撃に始まり、イスラエルや米国、あるいは日本政府もハマスの攻撃を「テロ」と非難したが、ハマスの攻撃をもたらしたイスラエルの数々の国際法違反やガザへの経済封鎖などについてこれらの国が強調することはない。ガザでの生活に希望があれば、誰も戦争など望まない。
谷川さんの詩に1965年に「ベトナム平和を願う市民の会」のために作られた「死んだ男の残したものは」があり、高石ともやなど多くの歌手によって歌われ、最近では元ちとせなどもカバーしている。当時の「ベトナム平和を願う市民の会」の反戦の想いは現在のガザでの停戦や平和を願う心情のように切実なものであったことは容易に想像できる。米国は現在のイスラエル国防軍のように圧倒的な破壊力をもつ兵器でベトナム市民の殺戮を行っていた。
死んだ男の残したものは
死んだ男の残したものは
ひとりの妻とひとりの子ども
他には何も残さなかった
墓石ひとつ残さなかった
死んだ女の残したものは
しおれた花とひとりの子ども
他には何も残さなかった
着もの一枚残さなかった
死んだ子どもの残したものは
ねじれた脚と乾いた涙
他には何も残さなかった
思い出ひとつ残さなかった
死んだ兵士の残したものは
こわれた銃とゆがんだ地球
他には何も残せなかった
平和ひとつ残せなかった
死んだかれらの残したものは
生きてるわたし生きてるあなた
他には誰も残っていない
他には誰も残っていない
死んだ歴史の残したものは
輝く今日とまた来る明日
他には何も残っていない
他には何も残っていない
谷川さんが平易な言葉でこの詩を作った背景にはベトナム戦争の惨状に注意を向けない人々の無関心との闘いもあったに違いない。易しく語られる言葉の中に戦争への強い反対の意志と、戦争に無関心な人々に戦争の悲惨さや無意味なことを切実に訴えようとする強い心情がうかがえる。
"地獄とは、人々が苦しんでいるところのことではない。
人が苦しんでいるのを誰も見ようとしないところのことだ。"
──マンスール・アル=ハッラージュ(イスラム中世の神秘主義思想家)
谷川さんの反戦詩とこのハッラージュの言葉では共通性があると思うが、現在のパレスチナのガザやレバノンは谷川さんなどが闘った無関心によって、まさに地獄の状態になっている。ガザでは昨年10月7日以降、4万4000人の人々が殺害され、イスラエル軍によって強制移住も進められている。日本でもガザに関する報道はすっかり少なくなり、レバノンではイスラエル軍の地上侵攻が本格化した10月以降、11月上旬までに3000人以上が殺害されてもほとんど報道がない。ガザでの殺戮の多さに戦争がすっかりノーマルになり、日本社会はすっかり無関心になってしまったようだ。