シリア、アサド政権崩壊!
シリアで54年間続いたアサド独裁体制が14年近くの内戦を経て崩壊した。内戦ではおよそ50万人が死亡し、1200万人のシリア人が避難を余儀なくされ、その半数は現在、海外に居住している。シリア内戦は残虐な「イスラム国(IS)」の台頭をもたらし、日本人のジャーナリストも拉致され、殺害されたこともあった。また、シリア難民危機はヨーロッパで難民の排除を求める極右勢力の台頭ももたらした。
反政府勢力の蜂起は11月27日に始まったが、「シャーム(レバント)解放機構」が中心になってシリア第二の都市アレッポはわずか3日間で陥落した。翌週、反政府勢力はハマとホムスを占領したが、シリア政府軍の抵抗はほとんどなかった。政府軍は東部のデリゾールからも撤退し、クルド人勢力を主体とする「シリア民主軍(SDF)」がデリゾールを支配するようになっている。
アサド体制が崩壊してもシリアでは民主主義や安定まで長い道のりがかかるかもしれない。イランでも1979年に王政が革命で打倒されると、王政打倒では一致していたイスラム勢力と、モジャーヒディーネ・ハルグなど左翼勢力の内戦状態に陥った。ホメイニのイスラム革命に心酔する革命防衛隊は、残酷な方法でモジャーヒディーネ・ハルグのメンバーの掃討に乗り出し、モジャーヒディーネ・ハルグによれば、そのメンバー7700人余りを殺害した。まるでフランス革命後のジャコバン党やロシア革命後の恐怖政治である。
世界の歴史を見ても革命が成立すると、フランス革命のサンキュロット民兵やロシア革命の赤軍(民兵組織から国軍に発展していった)など革命によってできた体制を守る民兵組織が創設されてきたが、イラン革命の場合は革命防衛隊がその役割を担った。サンキュロットと同盟したロベスピエールらによる恐怖政治「La Terreur(ラ・テルール)」は、テロの語源ともなった。
「アラブの春」で独裁者を打倒するには多くの困難が伴ったが、それで自由が保障されたわけではなかった。ムバラク独裁体制を倒したエジプトではムスリム同胞団出身のモルシ大統領の政権ができたが、2013年7月に軍部主導のクーデターが発生し、モルシ大統領は解任され、シシ大統領の独裁政権が続くようになった。
北アフリカのチュニジアも「アラブの春」の優等生として民主化に移行したと見られたが、2021年7月にカイス・サイード大統領は民主主義を停止し、2011年1月に打倒されたベン・アリー体制のような権威主義体制に現在はなっている。リビアは内戦状態に陥り、ハフタル将軍が率いる民族主義勢力が東部を支配し、エジプト、UAE、米国CIA、またロシアによって支持され、他方、首都トリポリを中心とする西部はイスラム主義勢力が統治し、トルコの支援を受けるようになった。イエメンではイランの支援を受けるフーシ派が人口の80%ほどを支配するが、南部の分離主義者の影響も根強い。フーシ派は昨年10月7日以降のハマスの奇襲攻撃後、イスラエル関連の艦船をイエメン沖で攻撃するようになり、その統治の正当性を内外に訴えるようになっている。
スーダンでは2019年4月に30年間続いたバシール政権が崩壊し、「第2アラブの春」とも呼ばれたが、2023年からスーダン国軍(SAF)と準軍事組織「即応支援部隊」(RSF)が武力衝突するようになり、860万人以上の避難民・難民が発生し、また飢餓の危機にあるのは1770万人と見積もられ、スーダンはガザと同様に深刻な人道危機にある。
シリアでは54年間続いたバアス党政権を支えたアラウィー派に対する報復的襲撃の可能性もある。1万人の人々がアサド体制によって拷問死したと見られるほど弾圧政治は過酷だった。シリアの宗教はイスラム教が約87%を占め、そのうちスンニ派が約74%、アラウィー派やシーア派などが約13%を占めている。また、キリスト教が約10%、ドールズ派が約3%だが、クルド人は人口の約10%、240万人ぐらいと見積もられる。クルド人たちは自治を要求し、クルド武装勢力の伸長に対しては北のトルコが警戒し、トルコがシリアに軍事介入する可能性もある。アサド体制の崩壊を受けてイスラエル軍はゴラン高原の緩衝地帯に侵攻し、その占領を行った。独裁体制は崩壊したが、政治・社会の安定や国民が自由を獲得するまの道のりは険しいと言わざるを得ない。
表紙の画像はTBSニュースより