「禁じられた遊び」と東京大空襲の記憶
ルネ・クレマン監督の映画「禁じられた遊び」(1952年)は、第二次世界大戦で家族を失った少女と、その少女が一時的に引き取られた農家の少年の交流を描いた反戦映画で、無邪気に十字架を集め、美しい墓地をつくろうとする子供たちの姿に戦争の悲劇を訴えるメッセージが込められていた。冒頭の空爆や機銃掃射で逃げ惑う人々の様子は現在のガザの人々と重なるようだ。孤児として警察に保護され、少年と別れゆく少女が少年の幻影を雑踏の中に見るところに、戦争によって傷つく子供の心が表れていた。下の日本語の歌詞は映画に現れる情景を思い出せてくれるようだ。
(近藤玲二作詞)
春はめぐり 花はひらき
鳥はうたう 旅の空を
雲の如く さすらいゆく
あわれ おさなご
十字架たてて 花をかざり
二人きりで 遊んだ日の
忘れられぬ あの思い出
胸に ひそめて
楽しかりし あの日のこと
やさしかりし 母の瞳
今は遠く すべて去りぬ
ゆめの うきぐも
戦争は世界各地の子供たちを傷つけている。ガザの保健当局によれば、昨年10月7日に始まったガザ紛争では3月7日までに1万2300人余りの子どもたちが犠牲になった。
シャンソンのクミコなどが歌う「先生のオルガン」は1971にシャルル・トレネが作った「アルモニウムの修道院長(L'Abbé à l'Harmonium)」に古賀力が日本語の詞をつけた。夏の日の夜/あの空襲/オルガンと一緒に先生は死んでいた/少年時代の悲しいあの日、この歌も子どもの時代の残酷な空襲の記憶が表現されている。
3月10日は、10万人の犠牲者が出た「東京大空襲」があった日だが、年齢が判明している1万7000人のうち4割が20歳以下で、特に乳幼児が多かった。また、12万人が戦災孤児になっている。
早乙女勝元氏の著書『東京大空襲』(岩波新書)には「私は・・・名もなき庶民の生き証人を通じて、“皆殺し”無差別絨毯爆撃の夜に迫る。話すほうも、きくほうもつらかった。だが、そのつらさに耐えてくれた人のために、そしてまた、ものいわぬ8万人の死者のために、私は昭和20年3月10日を、ここに忠実に再録してみたい。私の人間としての執念のすべてをこめて。」と記されている。
自らが編集した『平和のための名言集』(大和書房)の前文には「人間にとってもっとも得意とするのは忘却で、不得意なのは想像力だと言った人がいるが、道理に感動が加われば、想像力もより豊かになるのではないか」と書いている。
東京大空襲を立案した米軍のカーティス・ルメイ少将は「我々は東京を焼いたとき、たくさんの女子どもを殺していることを知っていた。やらなければならなかったのだ。我々の所業の道徳性について憂慮することについては『ふざけるな』と言いたい!」と言い放った。きっと現在、ガザ攻撃を推進するイスラエルの極右勢力も同様な感情をもっていることだろう。
忘却は悲惨な戦争を繰り返すことなると早乙女さんも主張していた。墨田区内に建設構想があった「(仮称)都平和祈念館」は、「自虐史観」に通じるなどの理由で石原慎太郎元都知事などの反対があって計画が実現されないままで、東京大空襲の証言ビデオも非公開のままとなっている。無辜の子どもたちが戦争の犠牲にならないためにも、また平和を守りたいという切なる想いで貴重な証言を行った人々に応えるためにも、平和祈念館の構想を復活させ、行方不明になっている3月10日に関する証言記録を探し求めるべきだと思う。
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