見出し画像

ジミー・カーター元大統領逝く   -日米の民間外交を推進し、「パレスチナ、アパルトヘイトではなく、平和を」と訴えた米元大統領

 米国のカーター元大統領が亡くなった。100歳だった。エジプト・イスラエル間の平和とパレスチナの自治について交渉することを内容とする1978年のキャンプ・デーヴィッド合意を成立させた。また、大統領退任後は、94年に北朝鮮の金日成(キム・イルソン)主席と会談して、核問題について一定の譲歩を引き出した。ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争では仲介役として停戦を実現させ、国交のなかったキューバも訪問した。これらの民間外交が02年のノーベル平和賞受賞として評価された。

キャンプ・デーヴィッド合意 (左から)サーダート、カーター、ベギン https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AD%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%97%E3%83%BB%E3%83%87%E3%83%BC%E3%83%93%E3%83%83%E3%83%89%E5%90%88%E6%84%8F

 ジミー・カーター元大統領は『カーター、パレスチナを語る--アパルトヘイトではなく平和を』(邦訳は2008年出版)と題する本を著し、米国内の親イスラエル・ロビーから「反セム主義者」などと激しい反発や批判を受けたが、カーター氏はイスラエルにアパルトヘイトがあると認めた最初で、唯一の米国の大統領経験者で、イスラエルの占領地における入植地の拡大が中東地域の安定や平和にとって重大な障害であると訴えた。米国で、親イスラエル一辺倒のトランプ政権が誕生しようとする中で、カーター元大統領が残した足跡は大きい。

メルカリより

 2016年11月29日付の「ニューヨークタイムズ」のオバマ大統領に宛てたオピニオン記事で米国や国連安保理がパレスチナ国家を承認することを強く求めた。

 「ニューヨークタイムズ」のオピニオン記事の中で、イスラエルはパレスチナ人を追放し、パレスチナから占領する土地を侵食しながら、入植地を拡大している。占領地で暮らすパレスチナ人にはイスラエル国籍がなく、イスラエルの議会選挙における投票権ももっていない。ところがパレスチナ占領地で暮らすイスラエル人にはイスラエルの市民権と法的保護が与えられる。こうした「一国家解決」はイスラエルの民主主義を破壊し、イスラエルに対する国際的な非難を強めるものだとカーター氏は警告した。

 当時、ヨルダン川西岸に60万人のイスラエル人が不法に暮らしていることをカーター氏は指摘したが、こうしたオピニオン記事を書いたのは、2017年から大統領となるドナルド・トランプ氏がパレスチナ問題をイスラエル一国家による解決を口にしていたという危機感があった。パレスチナ全域をイスラエルが支配すれば、パレスチナ人には市民権も与えられず、イスラエルによるアパルトヘイト統治が固定されてしまうという危機感がカーター氏にはあった。

甲奴町の子どもたちと交流するカーター氏

 日本との関係では、広島県三次市甲奴町にある曹洞宗・正願寺の梵鐘がカーター・センターに贈られたのを契機にカーター氏と甲奴町との交流が始まり、甲奴町の中高生たちはジョージア州南西部にあるアメリカス市にホームステイをするようになった。また甲奴町は「駅前通り」を1991年10月に「カーター通り」と改称したり、1991年3月にはカーター記念球場(両翼91m、センター120m)を建設、1994年には平和、人権、生涯学習を学ぶジミー・カーター・シビックセンターが甲奴町に落成したりした。2001年にはピーナッツ農家を経営するカーター氏から「ランナー種」のピーナッツの種、約20キロが甲奴町に贈られ、ピーナッツの作付けが始まり、商品化している。、甲奴町の「ジミー・カーター・シビックセンター」の屋外に建てられた「友愛の鐘記念碑」には次のようなカーター元大統領の直筆の言葉が刻まれている。

「人間一人ひとりが、平和と相互理解のために努力する責任があります。

甲奴町の正願寺所蔵の梵鐘は、現在アメリカ合衆国ジョージア州アトランタ、カーター・センターに永久的に保存されております。この記念碑とアトランタにある梵鐘は、人類平和のために、たゆまぬ努力を続けることを、常に我々に教えてくれるでしょう。」

梵鐘をつくカーター氏

 1984年5月25日、カーター氏は原爆を投下した米国の大統領経験者としては初めて広島市の原爆資料館を訪れ、平和記念公園の原爆慰霊碑に参拝、献花した(オバマ大統領の訪問よりも32年早い)。また市民を前にして平和アピールを発表し、「米ソの軍縮交渉の不調と、また不和の冷戦状態に逆戻りしたことで核戦争の危険は増大している」と指摘しながら、「世界の指導者の心構えや行動だけに頼るのでは十分でない。私たちが平和を不断に要求していかねばならない。核兵器の廃絶が一市民としての私の終生の目標となる」と訴えた。

広島平和記念資料館で お嬢さんと 1984年5月 

 カーター氏は、1980年代初頭からギニア虫の撲滅に力を入れ、彼が設立した非営利団体のカーター・センターは世界のギニア虫撲滅運動の中心となった。ギニア虫病は飲料水の中のミジンコを介して人間の体内に入り、1年ぐらいで、体内で1メートルほどに成長すると膝やくるぶしなどに潰瘍をつくり、その後数カ月を経て、体表を突出して外に出る。関節などに痛みが出て労働や歩行などに支障をきたすというものだ。

ギニア虫の撲滅にも尽力した https://www.youtube.com/watch?v=2dljNgsWB84

 カーター氏はパキスタンで1986年に撲滅運動に着手し、パキスタンでは1996年に撲滅が確認された。その後、ナイジェリア、ガーナ、カメルーン、エチオピア、ブルキナファソ、セネガル、ベナン、コートジボワール、モーリタニア、イエメンで撲滅が認定され、カーター氏は2017年にギニア虫の撲滅への取り組みで生涯功労賞を受賞している

 生涯にわたって人類の平和と安全、友好、健康を願った理想主義の大統領だった。

甲奴町のカーター・ピーナッツ 美味しいです

いいなと思ったら応援しよう!