詩人ロルカの愛したスペイン・グラナダの共存 ―グラナダ大学はジェノサイドに強く抗議する
5月28日、スペインのグラナダ大学は、大学が平和や、社会正義、人権擁護、人々の間の協力に対して強く関わってきたことを強調しながら、イスラエルによる虐殺を停止させるために、イスラエルとの教育、研究上の協力を一切停止することを明らかにした。
過日紹介したバレンシア大学と同様に、グラナダ大学はイスラエルによるジェノサイドや人権侵害を容赦しない強い姿勢を見せた。
スペイン・グラナダには抑圧された人々に対する同情や共感が伝統的にあり、そうした同情や共感が今回のグラナダ大学の措置になったような気がする。
スペインの詩人・劇作家のフェデリコ・ガルシーア・ロルカ(1898~1936年)は、スペインの過去のイスラムやユダヤなど多様な文化・宗教的伝統を深く愛好していた。彼は11歳の時からスペイン最後のイスラム王朝ナスル朝の首都であったグラナダに移住し、グラナダ大学に入学し、さらにコルドバやセビリアなどをめぐってスペインのイスラム・ユダヤ的文化・伝統にも触れることになった。
また、1921年にジプシーの友人からフラメンコ・ギターの技術を学んでフラメンコに魅せられるようになり、フラメンコ歌謡とも言うべきカンテ・ホンドが再び盛んになることを目指し、村々をめぐってカンテ・ホンドの祭りのコンテストに参加する歌手を集めた。カンテ・ホンド祭りは大成功に終わったが、その時の感動をロルカは『ジプシー歌集』として著した。
カナダのイスラム学者トーマス・アーヴィング(1914~2002年)は、その著書『イスラム世界(The World of Islam)』の中でフラメンコの歌で、深い嘆きの心情を吐露するカンテ・ホンドは、アラブの抒情詩にルーツがあると書いている。
多様性の伝統があるグラナダで育ったロルカは、1931年のインタビューの中で、グラナダで育ったことが迫害された人々に対する同情や理解を自分にもたらしたと語っている。ジプシー、黒人、ユダヤ、ムーア(イベリア半島や北アフリカのムスリム)、これらの抑圧された人々は自分自身の中にいるとロルカは述べた。ロルカはペルシア詩人オマル・ハイヤームやハーフェズにも強い影響を受け、19歳の時の最初の出版物は『オマル・ハイヤーム批評』であり、「アブドゥッラー(アラビア語の原義では〔神の子〕)というペンネームを使っている。
日本でもよく知られるフラメンコ音楽のルーツには様々な説があるが、時代的にはスペインが「アル・アンダルス」と呼ばれた中世時代に生まれ、この時代はムスリム、クリスチャン、ユダヤ人、ジプシーが文化的にも相互に影響し合った時期だった。
スペインでは1930年代にアンダルス(アンダルシア)の時代の文化を見直そうという復興運動が起こったが、イスラムやユダヤの過去の排除を訴え、スペイン・ナショナリズムに強烈に訴えるフランコ独裁体制の下ではそうした動きは絶えることになった。異文化に寛容な伝統があるグラナダだからこそ、イスラエルによる狭量なナショナリズムは許すことができないのかもしれない。スペインを愛好した俳優の天本英世は「スペイン人は個性が強いが、同時に他人も認めていて非常に寛容だ。」と述べたが、他者に寛容ではないイスラエルの姿勢はグラナダの人々には我慢の限界を超えたものだったのだろう。
フラメンコの楽曲「ソロンゴ」は、ロルカが収集して編纂したものだ、ロルカ自身も新たに詩を創作して加えている。
わたしの瞳は蒼い色
わたしの瞳は蒼い色
そしてこの心は
小さな蒼い炎と同じ色
夜、わたしは野へと出て
涙が枯れるまで泣くの
こんなにあなたが好きなのに
あなたはまるで好いてはくれない
https://tako1012.com/entry/the-beautiful-lyrics-of-flamenco-zolongo/
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