日本の桜とレバノン杉 ―日本の商業があこがれたレバノン・フェニキア商人たち
9月下旬に始まったイスラエルのレバノン攻撃ではすでに2500人以上が犠牲になった。ガザと同様な人道危機がレバノンでは起きている。一日あたり数十人の人が犠牲になるのもめずらしくなくなった。レバノン人の2割、120万人が避難生活を余儀なくされているが、それでもネタニヤフ首相は攻撃の手を緩める様子はない。(日経新聞)日本ではレバノン危機についてまだ関心が薄いように思われる。
天にそびゆる喬木を
レバノン山の森に伐り
舟を造りて乗り出でし
フェニキァ人のそれのごと
これは甲子園の高校野球でもよく知られる高知商業の校歌の2番で、石黒マリーローズ『レバノン杉と桜 ―日本人に平和と心の豊かさを問い直すレバノン女性の視点』(廣済堂、1991年)を読んだいたら紹介されていた。石黒さんは本のタイトルの通り、日本人と結婚したレバノンの女性だが、高地商業の校歌はレバノン人の先祖であるフェニキア商人の商才に学ぶことを説いている。作詞者の竹村正虎は1881年(明治14年)生まれで、高知商業の教員だった人で、病気で休職中の27歳の時にこの校歌を作詞したとあるから明治年間にレバノン人に関する知識をもっていた人が日本にいたということになる。
古代地中海東岸に栄えたフェニキア商人たちは、エジプト、バビロニア、クレタの影響の下に、紀元前12世紀頃から現在のレバノンの地中海沿岸都市シドン(サイダ)・ティルス(スール)を中心としてイスパニア(スペイン)にまで進出し、杉・銅・干し魚・染料などを輸出し、琥珀・錫を輸入して地中海貿易で活躍した。
私たち日本人もローマ字として使うアルファベットもフェニキア人に始まっている。アルファベットは、紀元前2000年頃にシリア・パレスチナで発明されたセム系文字に起源をもつとされる。特にフェニキアのアルファベットは前1000年から前700年頃ギリシア人に伝えられ、ギリシア人はフェニキア文字に母音を加えて、ギリシア・アルファベットをつくり、それがラテン文字やロシア文字となっていった。
同書の中ではレバノン国歌も紹介されている。
レバノン人よ、レバノンの国とために尽くそう
教育は、明日のレバノンの礎石
海も山もあるオリエントの宝石、レバノン
レバノン杉に象徴されるレバノンよ、永遠なれ
石黒さんはレバノン国歌にも詠まれる「教育」について「人間としてのもっとも大切な力、つまり豊かな心を感じ取り、あたたかな気持ちを素直に表現できるように、子供自身のもっている成長力を手助けしてあることなのだと思う」と書いている。アラブ経済研究で著名だったシカゴ大学のチャールズ・イッサウィは、明治期以降の日本の経済発展の秘訣が寺子屋教育の普及など、日本の教育制度の充実にあったと述べていた。
石黒さんの本が出版された1991年は、1975年から続いたレバノン内戦が終わった翌年で、「桜は平和と繁栄の国・日本の象徴であり、レバノン杉は、内戦で傷つき、いまだに外国軍隊が駐留して将来への不安と困窮に暮らすレバノンの運命を象徴しているかのようである。」とも書いている。
日本人も一見関係が希薄なように思えるレバノンに明治時代以来注目していたが、現在のイスラエルがもたらす非人道的行為に注目してほしい。言うまでもなく、日本政府はレバノンに資金協力を与えるだけでなく、イスラエルに対して攻撃停止のための何らかの強いメッセージを発するべきだ。
表紙の画像は日本の桜
https://www.nta.co.jp/media/tripa/articles/mbgrS