セイエド・アッバス・アラグチ外相の『イランと日本』 ―イランの孤立回避のために努力した3年間
イランのアラグチ外相は、2008年から2011年まで駐日イラン大使を務めたが、イランでは、何かと奇矯な発言が多いアフマディネジャード大統領の在任時代だった。アラグチ大使はイランの孤立を回避するための努力を払っていたことは、我々のペルシア湾の安全保障に関する少人数の研究会にも足を運んでイランの立場を熱心に説明していたことにも表れていた。
アラグチ氏の最新著『イランと日本 駐日イラン大使の回顧録2008-2011』は、日本在任時代に見聞し、知見を得たことに基づく日本論である。米国を戦略的中心に据える日本外交、世襲が多い日本の政治、日本の軍国主義などの歴史、日本とイランとの文化交流など実に多様な内容が述べられていて、アラグチ氏が日本在任期間中に日本を積極的に知ろうとした姿勢がうかがえる。
日本人の多くはイランの人々が日本に好感情を抱いていることなどあまり知らないだろう。本書巻末にある笹川平和財団角南理事長との対談の中でアラグチ氏は「日本はイランの人々にとって非常に信頼できる国です。私はいつもイラン人の同僚や友人に、『イランの街に行って一般の人々に、日本を含め思いつく10の国の名前を聞いてみろ。そしてそれらの国でどの国が一番信頼できるか聞いてみろ』と言っています。10人中9人が日本と答えるに違いありません。これはあなた方日本にとっての財産です。」と語っている。イランでも日本の技術への信頼があり、イラン人もまた日本製品を好んで買い求める。この日本人の財産を大切にして、日本が国際社会の安定化に貢献することへの期待も述べられる。
在任中の苦労はイラン人の受刑者への改善を要求したことにもあった。近年はハラール料理(イスラムの教義に照らして許される料理)とか、礼拝所の設置などムスリム対応がクローズアップされているが、刑務所におけるイラン人受刑者への配慮が日本では希薄であったことに本書で気づかされた。アラグチ大使の在任中にイラン人受刑者は、日本国内の16か17の刑務所に450人ほどが収容されていた。アラグチ氏は受刑者の権利保護、差別防止、異国の地での寂しさを除くための待遇改善などを訴えていく。日本の刑務所はイラン人にとっては拷問のような状態にあるという。拷問とは非常に厳しい規律のことで、受刑者の精神は慣れない日本の厳格な規律に縛られると精神的に相当きついのだそうだ。その一つが集団入浴にある。イラン人受刑者たちは「私には羞恥心があり、とても辛い」と異口同音に語るが、それを刑務所長に伝えるとなぜイラン人は恥ずかしがるのかと不思議そうにしていたという。また体毛やムダ毛を処理することも刑務所の中では許されないことはイラン人には辛いことだった。刑務所の中ではイスラムの礼拝や、やはりハラール料理への配慮などなかった。日本の刑務所が異文化に対する十分な注意が払われていないことなど初めて知った。集団房での中国人や日本人受刑者など異なる国籍の人たちなどと一緒に生活することも辛いらしい。大使の在任中に、受刑者の寂しさを紛らわすために、ペルシア語の本の貸し出し事業なども進められていった。
イランの良好なイメージをつくり上げるために、イラン文化の紹介も熱心に行われた。「ペルシアシルク絨毯の世界」展、ズールハーネ実演会なども行われた。ペルシア絨毯は日本でもあまりに有名だが、ズールハーネとはイランの古式体操を見せる道場で、筋肉隆々の力士たちが様々な演技を、見せてくれる。ズールハーネではイランのフェルドゥシーの詩なども観衆は唱和するが、これは日本ではあまり知られていない。
人情、ウェットな人間関係、面倒見の良さ、集団主義などは、欧米の個人主義にはないものが日本とイランでは共通の感情や社会的仕組みとしてある。イランのペルシア語の言葉「ジャヴァーンマルディー」は、「目上の者への敬意、困窮者への支援、仲間意識の尊重、献身的精神の発揮などである。」(八尾師誠氏の説明による)だが、日本人の義侠心に通じるものがある。
カナダのイランを専門とする世論調査会社IranPollが2019年10月には発表したイラン人1000人を対象に行った調査で、日本、中国、ロシア、ドイツ、国連、フランス、イギリス、米国についてその好感度を尋ねると、日本が最も好感をもてる国という調査結果が出た。
良好な対日感情は、イランに対してヨーロッパ諸国のように、イランが核合意を守らなければ、再び制裁を科すなどの政治的圧力をかけていないことも理由としてある。また、日本は歴史的にイランに対してネガティブな関与を行うことなく信頼関係を構築し、映画、ドラマ、文学、漫画、アニメなど日本のソフトパワーが良好な対日感情を築くことに貢献してきた。本書では日ごろ気づかない日本社会の特質をイラン人の目を通して教えてくれる。
4月、イラン革命防衛隊の司令官がシリアのイラン大使館関連施設が爆撃されて殺害され、イランがイスラエルに報復攻撃すると、上川外相はイランのアブドラヒアン外相と会談して、「中東情勢をさらに一層悪化させるものだ。このようなエスカレーションを強く非難する」と述べたが、同様な非難の言葉はイランの外交施設を先に攻撃して破壊したイスラエルに対しても向けられるべきだった。中東の大国イランに無知だと日本は失うものが多いことに本書は気づかせてくれる。対米一辺倒の政治家などにはぜひ読んでほしい本だと思う。
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