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旅人を大事にするイスラム世界で評価される「寅さん」

 8月4日は、映画「男はつらいよ」などで活躍した渥美清さんが1996年に亡くなってから27年になる。

 「男はつらいよ」は中東のエジプト、東南アジアのマレーシア、インドネシアなどイスラム系諸国で人気があるが、それはイスラムの教義にも通じる価値観が映画のシリーズの中で表現されていることにも関係しているように思う。寅さんは柴又のおいちゃんの家にじっとしていないで日本全国を放浪しているが、イスラム世界で支持があるのは寅さんが旅人であり続けたことにも理由があるような気がする。

「結婚できない男」 柴又を訪問するシーン https://openmedia.jp/blog/?p=71


 「寅次郎 サラダ記念日」で島崎藤村の「千曲川旅情の歌」の「小諸なる古城のほとり 雲白く遊子(ゆうし)悲しむ」の「遊子」という言葉を聞いた寅さんは「小さい頃は『爆弾三勇士』が好きでした」と語る。その本当の意味を知った寅さんは柴又の「とらや」で「遊子」とは何かと尋ねると、満男君が「おじさんみたいな人(=旅人)だろう」と言う。寅さんは「さすが満男、受験生」とほめるシーンがある。

アマゾンより


 ブログに「アフガニスタンの中村哲医師と『寅さんだったら何て言う!?』」という記事があった。(文章は↓↓↓のページにある)

 このブログによれば、アフガニスタンには「客は神の贈り物」ということわざがあり、それを美徳とする慣習が古くからあったと中村医師が紹介していた。中村医師が初めてアフガニスタンを訪問した時、自分たちの食料も満足にない貧しい家庭なのに心の行き届いた、手厚いもてなしを受けたことに感動し、昔の日本もこうだった!と感銘した。

アフガニスタンの人々は異邦人をよくもてなしてくれる https://www.tvguide.or.jp/news/news-163207/

 中東イスラム世界に行けば、こういうもてなしを受けた経験がある方は少なからずいることだろう。私も最初にイランに行った時、南部シーラーズの街で、そこから少し離れたアケメネス朝の都ペルセポリスに行こうと思い、バス・ステーションでペルセポリス行きのバスを探していると、現地の中学校の先生が自分のクルマで連れていってくれるという。しかも、夕飯はウチでどうかと言われた。その通りに旅行も、食事もお世話になったが、イスラムの教義の客人は大切にしなさいというものを実感する思いだった。

 イスラムの宗教信条の一つでは、「客の権利」として3日間にわたる宿泊と食事の権利が与えられている。イスラム世界の人々は、日本人のような異文化の世界から来た旅人に異様なほど愛想がよいことに容易に気づく。中村哲医師が「客は神の贈り物」というアフガニスタンの言葉を紹介する背景にはこのようなイスラムの教義がある。

 イスラム世界では学生や学究者たちは、著名な学問の師との出会いを求めて旅を続けた。また、都市の経済力や富は、交易品の流通の量や、商取引の行為の頻度によって決まったが、商人たちは新奇な物品を求めて遠隔の地に出かけていった。アラビア半島のメッカ(マッカ)やメディナなどイスラムの聖地を訪ねる宗教的な巡礼もムスリムには旅を行う必要性があった。また、イスラム神秘主義者たちは神に近づくための苦行の旅に出た。旅人たちの安全を図り、またその移動を容易にすることはイスラム世界の為政者たちにとって重要な責務でもあった。

私の心はあらゆる形態を受け容れるようになった。羚羊(ガゼル)のための牧草地、キリスト教修道僧のための僧院偶像崇拝者の聖地、巡礼者が周囲をくるくる回るカアバ神殿トーラー(ユダヤの律法書)の刻印、クルアーン(コーラン)の書私は愛の宗教を告白する。愛の隊商がどこに向かおうとも、愛こそが私の宗教であり、信仰である。

 これは、スペイン・ムルシアで生まれたイスラム神秘主義〔スーフィズム、内面を特に重視するもの〕の思想家イブン・アラビー〔1165~1240年〕の詩。アラビーはスペインに生まれ、北アフリカ、マッカ、アナトリア、ダマスカスなどを旅して歩いた。アラビーは宗教が共存するイスラム・スペイン(アンダルス:アンダルシア)から旅行を続けたが、彼は旅を通じて当時のイスラム世界の愛と寛容の精神風土に間断なく触れることになり、それが彼の思想形成の背景となった。

 19世紀、20世紀の西欧の帝国主義者は、アラブ世界は文明化する必要があると説いたが、アラビーの頃のアンダルスはアラブの黄金期であり、彼らの誇りとして長く記憶に留められ、アラビーが自由に旅行できたように、国境という障壁などない愛と寛容の時代だった。


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