峠三吉が愛したルイ・アラゴンの詩と「平和こそが戦争犯罪人を膝まずかせる」
反核兵器の詩「にんげんをかえせ」で有名な峠三吉氏は、フランスの作家・詩人のルイ・アラゴン(1897~1982年)の「髪にそよぐ風のように生き、燃えつくした炎のように死ぬ」という詩の一節をこよなく愛していたという。
平和こそが 戦争犯罪人を膝まずかせ
自白するように 余儀なくさせる
そして犠牲者たちとともに 叫ぶのだ
戦争をやめろ ―ルイ・アラゴン
アラゴンは、1942年11月にムッソリーニのイタリア軍が南仏のニースに侵攻すると、妻のエルザと離れて暮らすことを考えるようになる。当時のフランスのレジスタンス運動には、夫婦であろうと、恋人同士であろうと、二人で同居してはならないという規則があった。二人で同居していれば、警察につけられる可能性が高まり、レジスタンス運動を危険に陥れると考えられたからだ。そのような時にアラゴンは「幸せな愛などない」を作詞したが、これは日本人歌手によっても歌われる有名なシャンソンだ。
〔幸せな愛などない〕
人間にたしかなものとては何もない その強さも
弱さも心さえも 腕をひらいて友を迎えたと
思うとき その影は十字架のかたちをしている
幸福を抱きしめたと思う時 ひとは幸福をぶち壊す
人生とは痛苦にみちみちた無常な別れだ
幸福な愛はない
(日本語の歌は
https://www.youtube.com/watch?v=kkJJg3JQPU8
アラゴンたちをニースから追いやることになったムッソリーニは、イタリアのファシズムの指導者で、ナチス・ドイツと同盟した。ムッソリーニもまた狂信的な反ユダヤ主義者だった。ファシズムは特に軍事力を重んじ、帝国主義的発想に立っていた。ムッソリーニは古代ローマを賞賛するとともに、学校ではローマの歴史教育を重視させた。ファシズムは自民族(人種)が他のそれよりも優れていることを喧伝した。ムッソリーニは古代ローマ帝国の栄光を復活させようとし、アフリカのエチオピア併合などの侵略を行った。
イスラエル軍は、ガザの最も南にあるラファに進軍する構えで、ラファにはイスラエル軍のガザ北部への攻撃で避難してきた人を含めて100万人の人々が密集して暮らしている。そこにイスラエル軍が攻撃を加えればさらに多くの犠牲者が出ることは明らかだ。
イスラエルはムッソリーニと同様に軍事力を重んじ、入植地を拡大するなど植民地主義的発想に立ち、またイスラエル国内ではユダヤ人の優越を説く。これはムッソリーニのローマ帝国の復活と同様な発想で、現にイスラエルの極右閣僚は、ユダヤ人の王国が全パレスチナを支配していたのだから、イスラエルもパレスチナ全域を支配することは正当だと主張し、ガザもイスラエルが統治していく考えを明らかにしている。世界史の過ちを繰り返さないためには国際社会は過去の失敗をあらためて意識し、イスラエルが国連の訴えや国際司法裁判所の裁定などをいくら無視しても、ネタニヤフ政権のガザ侵攻に見られる現代のファシズム現象に対して「NO」の声を上げ続けるべきであることは言うまでもない。
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