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ユダヤ人国家イスラエルの記録 パレスチナ人を家のない、国のない状態に置くイスラエル

 3月4日(月)放送のNHK「映像の世紀バタフライエフェクト イスラエル」は、イスラエルが国際社会からジェノサイドという批判を浴びながらもどうしてガザに対する市民の多数の犠牲をもたらすような攻撃をやめないのかというテーマで、ユダヤ人国家イスラエルの発展の記録が語られていた。世界有数の軍事大国になったイスラエルがパレスチナ人に対する容赦ない姿勢の背景にあるユダヤ人の近現代史が紹介された。
(見逃した場合は https://www.nhk.jp/p/butterfly/ts/9N81M92LXV/episode/te/KXK8LXP773/?fbclid=IwAR3Ary_N4Ta-N6ZktKMJjTkWlSkkQiflzQAr8iM5XBSIaHZcQ7XyMxiw7_c  で視聴できる)

「イスラエルは強大なゴリアテのように描かれる。しかし、このユダヤ人の国が樹立されるまで私たちは苦難の歴史を歩んできた。再び無防備になれば生存が脅かされる。私たちこそ強敵に向かうダビデなのだ。」(ネタニヤフ首相の言葉)

 ゴリアテは旧約聖書に現れるパレスチナ西部に住むペリシテ人の巨人で投石によってイスラエル王国2代目の王ダビデ(在位前1000頃頃‐前961に投石によって殺害される。ミケランジェロによるダビデの彫刻はイタリア・フィレンツェのアカデミア美術館に展示されている。

 ヨーロッパではロシアなどで19世紀末から始まるポグロム(集団虐殺)で数十万とも見られる人が虐殺されたが、ヨーロッパで迫害の対象だったユダヤ人たちはパレスチナに国と持とうとするシオニズムの運動が起こった。

「屋根の上のバイオリン弾き」(1971年) ウクライナのユダヤ人家庭でユダヤ人のしきたりが崩れ、最後はポグロムでアメリカ(原作ではパレスチナ)に逃れる姿を描く https://natalie.mu/eiga/film/133368


 イスラエル初代首相のデビッド・ベングリオンがパレスチナに渡ったのは19歳の時だった。

「我々がここに来たのはアラブ人を追出すためでなく、他者を破壊することでもなく、荒れた場所を開発し、経済・生産・創造の新しい宝を作りだすためなのだ」(ベングリオン)

 番組ではパレスチナでユダヤ・アラブの共存関係が崩れるのは、第一次世界大戦のイギリスの姿勢だったことが強調されている。イギリスはパレスチナにアラブ人、ユダヤ人の国を造るという約束を守ることはなかった。

「大勝利に酔う時にこそはっきり認識しなければならない。イギリスはイスラエルの地を返すことはないのだ。土地は民族自らの努力と創造性、建設と移住によってのみ勝ち取ることができる」(デビッド・ベングリオン)

「アラビアのロレンス」(1962年) 第一次世界大戦中のイギリスが工作した「アラブの反乱」を描く https://movie.jorudan.co.jp/film/13223/


 さらにナチス・ドイツのホロコーストがあり、ユダヤ人大虐殺の実態が明らかになると、ベングリオンは次のように語る。

「ユダヤ人は戦争終結をよろこべません。私たちの歴史の中で最も痛ましい悲劇に見舞われているのです。600万人ものユダヤ人が冷酷にも殺され、焼かれました。今、この600万の死を前に正義が果たされるべきです。家のない、国のない状態が正されるべきです。」

 いまや、イスラエルはこのベングリオンの表現にあるように、パレスチナ人を殺害し、焼かれ、彼らを家のない、国のない、状態に置いている。1947年の国連パレスチナ分割決議に賛成したのはヨーロッパ諸国が圧倒的に多かった。ヨーロッパ諸国にはイスラエル国家の成立は厄介者だったユダヤ人を追出すことができる絶好の機会でもあったが、パレスチナ問題の原因をつくった欧米諸国の責任は重大と言わざるを得ない。

ボール・ニューマン 「栄光への脱出」(1961年) 第一次中東戦争、イスラエルの建国を描く  https://www.allocine.fr/personne/fichepersonne-118/photos/detail/?cmediafile=18984698&fbclid=IwAR1VRvi-bDwz7FnOx3AyF-zdZG6VSHP1nCGoaXcxrv8HBxgsShow8gdnedQ


 数次にわたる中東戦争や、PLO(パレスチナ解放機構)やハマスとの戦いはイスラエルをハリネズミのような国家に仕立て、いっそうアラブ人たちを差別、排斥する感情をイスラエル国民の間に植えつけていった。

 番組最後では「もし武力が存在しなかったらイスラエルは地図から抹消され国民は殺されていただろう。我々は危険が続く限り戦いを続けるしかない。しかし同時に自らに問いかけなければならない。戦いの脅威に耐え続けることができるのか。その先に我々が生存していく道はあるのかと」というベングリオンの言葉が紹介されている。

 イスラエルはいつか良識と勇気ある政治家が、西ドイツ第4代首相のヴィリー・ブラント(1913~1992年)が敵対するソ連や東欧諸国「接近による変化」という考えに基づいて宥和を考えたように、敵対するハマスなどと対話し、相手の変化を考えない限りずっとテロに震えおののく国家であり続けるだろう。果てない戦争の継続は国際社会におけるイスラエルへの信頼を低下させ、諸外国からの経済的投資も滞るようになり、イスラエルの生存もいっそう危うくさせていくに違いない。

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