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日本の被爆に強く同情したトルコの詩人

 プーチン大統領の核兵器使用への言及といい、核兵器への恐怖は希薄になり、麻痺してしまったかのようだ。こんな時こそ国際社会は核の恐ろしさをあらためて認識しなければならない。

 核の切迫した恐怖について世界に向けて説いたのはトルコの詩人ナーズム・ヒクメット(1902~63年)の「生きることについて」という詩だった。この冷戦時代の核戦争の緊張がある中で書かれた詩はチェルノブイリ原発の事故を扱った映画「チェルノブイリ・ハート」(マリアン・デレオ監督:2003)の冒頭でも使われたように、核の恐怖を人類に警告するものだ。ヒクメットは、東西冷戦の最前線のトルコ、さらには東欧、ソ連などで暮らした経験から核兵器の脅威を痛切に感じていた。

チェルノブイリ・ハート https://movie-tsutaya.tsite.jp/netdvd/dvd/goodsDetail.do?titleID=1662397776&fbclid=IwAR26QmKN-bX7d-8-RISSJazBMjctKxwXMpfliQPnnSw0-s7Hk6L8mvRqTek


〔生きることについて〕―ナーズム・ヒクメット (抜粋)
生きることは笑い事ではない
あなたは大真面目に生きなくてはならない
たとえば 生きること以外に何も求めないリスのように
生きることを自分の職業にしなくてはいけない
生きることは笑い事ではない
あなたはそれを大真面目にとらえなくてはならない
この地球はいつの日か冷たくなる
氷塊のようにではなく
ましてや死んだ雲のようにでもなく
クルミの殻のようにころころと転がるだろう
漆黒の宇宙空間へ
そのことをいま 嘆かなくてはならない
その悲しみをいま 感じなくてはいけない
あなたが「自分は生きた」というつもりなら
このくらい世界は愛されなくてはいけない

 映画「チェルノブイリ・ハート」はチェルノブイリ原発事故の子供たちの心臓疾患や放射線障害など健康被害を紹介し、2006年には国連総会でも上映された。特に後半の部分は原発事故の人体への深刻な影響や環境破壊の恐怖を強調している。チェルノブイリの原発事故では戦争ではなく、核関連施設の事故が人類の終焉をもたらすのではないかという恐怖が生まれたが、現在はそれと合わせて核兵器が実際に使用されるという脅威が高まっている。原発事故・破壊による環境汚染、また気候変動、核兵器使用への脅威は、ヒクメットの表現を借りれば地球をクルミの殻のようにするかのようだ。これらの問題については国家や民族の相違には関わりなく協調して取り組まなければならない。狭い政治的な同盟関係の枠組みによって広島や、また今日の長崎の原爆忌にロシアやベラルーシを招待しないような姿勢では人類共通の普遍的な課題を改善、解決することは到底できない。

米国人作家のスーザン・サザードさんの「Nagasaki: Life After Nuclear War」(2016) アマゾンより


 「Nagasaki: Life After Nuclear War」を2016年に著した米国人作家のスーザン・サザードさんは、米国人が歴史の授業では、広島・長崎への原爆投下が戦争の終結を早めたと教えられるが、それにはなんの根拠もなく、冷戦時代の核軍拡を進めることに国民の支持を得るための政府の意図が背景にあり、このような政府の主張によって、広島・長崎で実際に起こったことに米国人たちは注意が向かず、いまだに核軍拡を支持する要因となっているとサザードさんは訴える。過日紹介した映画俳優のダスティン・ホフマンも広島・長崎の原爆被害を米国人はあまり知ることがないと語っていた。

永井隆 「長崎の鐘」


 今日は78回目の長崎原爆忌だが、原爆など核の脅威を世界に訴え続けていくことこそ被爆経験のある日本人の世界に向けての責任であり、日本人は大真面目に生きなくてはならない。

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