イスラムは米国の差別社会における反逆の手段 ―アート・ブレイキー
ジャズ・ドラマーのアート・ブレイキー(1919~90年)は、1963年のエボニー誌によると、「ジョージア州アルバニーの警察署で白人警官を『Sir』と呼びかけなかったために殴り殺されそうになった後で自分なりの新しい哲学を探し始めた。フランスのジャズ雑誌とのインタビューで、彼にとってのイスラムの魅力は苦しい現実から逃れることができる媒介となり、完全な精神的な自由の中で彼が選択できる生き方や考えを示してくれた。それゆえ、彼の仲間の多くが信仰としてイスラムを採用することになった。自分たちにとって、イスラムは何よりも米国の差別社会の中で反逆の手段だったとブレイキーは回想している。
アート・ブレイキーは、1961年に来日した時、日本人のファンが一緒に写真を撮ってくれと申し出ると、「僕は黒人だが、本当に一緒に撮りたいのか」と尋ねたという。1960年代はアメリカで公民権運動が高揚していた時期だが、彼は離日する前に「我々を人間として迎えてくれたのは、アフリカと日本だけだ」と語った。そう意味では日本にもイスラムの平等の理念が備わっていて、ブレイキーはイスラムの理想社会を日本に見たのもかもしれない。
アート・ブレイキーが信仰したのはイスラムの新興宗派の「アフマディーヤ」だった。アフマディーヤに改宗したジャズ・ミュージシャンの中にはピアニストのアーマッド・ジャマル、ヴォーカリストのダコタ・ステイトン、トランぺッターのタリブ・ダウード、ドラマーのアート・ブレイキー、サクスフォン奏者のサヒブ・シハブ、ベーシストのアーメド・アブドゥル・マリク、リード奏者のルディ・パウエル、ピアニストのマッコイ・タイナー(スレイマン・サウド)など錚々たる人々だった。アート・ブレイキーの「ジャズ・メッセンジャーズ」の「メッセンジャーズ」にはイスラムの預言を伝える者という意味が込められていた。預言者ムハンマドの「預言者」も英訳すれば「メッセンジャー」だ。
アーマッド・ジャマルは人生の指針を聖典コーランから得て、アフマディーヤに属す自分のモットーはすべての人々に愛を、憎しみは誰にももたないことだと強調した。アフマディーヤは1889年に英領インド帝国のパンジャーブ州のカーディヤーンで始まり、創始者のミールザー・グラーム・アフマド(1835~1908年)は自らをメシア(ユダヤ教の救世主)であり、またマフディー(イスラムの救世主)であるもと説き、イスラムの主流派からは異端と見なされた。アフマディーヤは人間のあらゆる事象における平和を尊重し、教育、寛容、慈善活動を重視する。
アフマディーヤは1920年代にアメリカの各都市に宣教活動にその聖職者たちを送った。人種間の平等と同胞愛を説くアフマディーヤの教えはアフリカ系米国人(黒人)の間で多くの信徒を獲得していった。アフマディーヤはジハードを武力ではない平和的手段による精神的闘争と規定した。アフマディーヤの宣教師ムハンマド・サーディク(1872~1957年)はイスラムがすべての人々の平等を説く普遍的な宗教であることを訴え、アフリカ系の人々の間で信徒の数を増やしていく。他方で、サーディクはキリスト教が奴隷制度、人種隔離、アフリカ系の人々への抑圧を正当化したことを強調した。
ジャズ・メッセンジャーズのメンバーの一人であったユセフ・ラティフは、ジョン・コルトレーンが詩に書いた“gracious and merciful”という言葉は、コーランに見られる「ラフマーンとラティーフ」と同義だと説明している。「ラフマーン」と「ラティーフ」はともに慈悲・慈愛を表す神の美称であり、前者は一般的な慈愛を意味するのに対して、後者は現世で導き、来世で救済する慈悲と考えられている。
コルトレーンは「私の目標は真の宗教的生活を送ることであり、それを音楽で表現することだ。私の音楽は私自身が何であるかという精神的な表現である。」と語っている。ラティーフは、北インド生まれの神秘主義者のイナーヤト・ハーンの著作『音の神秘』を読むことを薦めている。ここには「波動・音・声・ことば―すべての生命は音調とリズムを表し、宇宙はハーモニーの法則によって動く」と書かれ、イナーヤト・ハーンは「我々は異なる名称、異なる形態で一つの宗教に帰依している。異なる名称や形態の背景には同じ精神や真理がある」と説き、アフガニスタン・バルフ出身の詩人ルーミー(1207~73年)の詩の一編「すべての宗教は、同じ一つの歌を歌っている。相違は幻想と空虚に過ぎない」を思い出させている。