日本の民主主義は戦争の貴い犠牲の上につくられた
東京都知事選では56人が立候補し、選挙ポスターの掲示板には漫画やらほぼ全裸の女性やら不真面目なものも目につくようになった。民主主義が軽視されているような気がしてならないが、日本の民主主義は、310万人という貴い犠牲を払った戦争の結果、得られたものではなかったか。
東京女子大で歴史学を専攻する柳原伸洋氏はドイツ・ダッハウ収容所跡にある「警告碑」には、「(収容者たちの遺体を焼いた)焼却炉は我々がここでどう死んだかを思い起こさせる」と刻まれ、この短い碑文に、柳原氏はドイツと日本の死者の役割の相違を見る。「“我々”とは死者を意味しています。ドイツ人にとって死者とは、今も抗議への参加権を持ち、生者に警告する存在です。」と述べている。戦争の死者たちは今の日本の「民主主義」をどう見ているだろうか。
民主主義が軽視されていることは多用される閣議決定にも見られる。漫画家赤塚不二夫氏が書いた「『日本国憲法』なのだ!」では、赤塚漫画のキャラクター・ケムンパスが「憲法読むべし」と語っている。ひみつのアッコちゃんは、「国民が主権者になるまで多くのギセイと努力があったのよっ!」と語っているが、SBS信越放送のニュースでは、長野県弁護士会の山岸重幸会長は、反撃能力の保有などを閣議決定したことについて、「議論がないまま進めることは、国民主権の根幹を脅かす」と述べたという記事があった。
1919年8月に制定されたドイツのワイマール憲法は人身、言論、集会の自由などの基本的人権を停止できる非常事態権限を大統領に与えていた。1933年1月に首相に就任したヒトラーは、国民に信を問うという理由で議会を解散して3月5日を投票日に定めた。しかし、選挙戦終盤の2月27日にベルリンの国会議事堂が放火されると、これが共産党の一斉蜂起の前兆であるとして、ヒンデンブルク大統領に「民族と国家を防衛するための大統領緊急令」を発令させ、ワイマール憲法で保障されていた人身の自由、意見表明の自由、結社の自由など基本的人権を停止させ、共産党は解散させられた。ヒトラーはさらに社会民主党を議会から追放し、3月24日に「全権委任法」、正式には「民族および帝国の困難を除去するための法律」を成立させた。この法律で内閣は無制限の立法権を得ることになり、議会の立法権は形骸化していった。
この一連のドイツ政治の流れは、現在閣議決定を多用する日本の政治とどうしても重なってしまう。閣議決定で重要法案が決められるならば議会の立法権は不要なものになってしまう。
一橋大学学長などを務めた歴史家の上原專禄氏(1899~1975年)は、此岸(しがん:この世)における審判の主体として永存する死者もあるとした。そのような死者の例として上原が挙げているのは広島・長崎やアウシュビッツにおける虐殺の犠牲者であり、現在生きている者たちは死者の媒体となって、死者の審判を現世に活かしていかなければならないと説く。生者は死者がどのような心持であり、どのような意志や希望をもつかについて反芻しながら考察し、それを自らの指針として咀嚼することによって現代社会の中で実現させていくことを上原は主張した。今日は沖縄慰霊の日だが、安全保障に関する近年の一連の決定に戦争の死者たちが肯定的な評価を与えているとは到底思えない。
「夢千代日記」などの作品を残した早坂暁氏の作品のテーマには原爆の悲惨さや戦争をしてはいけない爆弾ができてしまったことをどうやって伝えるかというものがある。2013年8月3日付の「日本経済新聞」で次のように述べている。
「戦後68年間、日本人は他国へ出かけて1人の敵兵も殺さなかった。これを最高の誇りと考えなければいけないのです。今の戦争放棄の憲法を押しつけだなどと主張する人がいるが、とんでもない。戦争放棄を選んだ背景には、第2次大戦で亡くなった300万を超える兵士や市民の血と涙の叫びがある。
僕のいとこに、ビルマのジャングルで死んだ『ゲン兄ちゃん』がいます。半分水に浸かりケガで歩けなくなった彼は、母国に体を向けてくれと戦友に頼んで独り死んだ。何百万人の日本兵の血と何千万人のその家族の涙が戦争放棄の憲法を生み出したことを、今の日本人は忘れてはいけない。(後略)」
「戦争や 人の命の イワシかな」(早坂氏脚本のドラマ「花へんろ」で詠まれる俳句)
表紙の画像は「東京都知事選の選挙ポスター掲示板には、候補者とは関係のないエステサロンを経営する女性のポスターが多数貼られていた(※点線で囲った部分)(21日午後、東京都文京区で)=高橋美帆さん撮影」
https://www.yomiuri.co.jp/election/tochijisen/20240621-OYT1T50195/
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