中東の現状を力で変えてきたイスラエルと、イランとの戦争を画策するネタニヤフ政権
1日、シリアのダマスカスにあるイラン大使館領事部がイスラエル軍と思われるミサイル攻撃受けて、イラン革命防衛隊コッズ(エルサレム)部隊司令官のモハンマド・レザー・ザーヘディ准将ら7人が死亡し、またシリア人市民6人も殺害された。イランのハメネイ最高指導者はイスラエルへの報復を誓うなど緊張が高まっている。
外交施設を攻撃することは国際法で禁じられていて、イスラエルは1982年にレバノン侵攻した際にも、その正当化の理由としてロンドンのイスラエル大使が銃撃されて死亡したことを引き合いに出した。まったくの自己矛盾だ。ネタニヤフ首相はイランを戦争に引き込むことによって、ガザ戦争に批判的となっている米国の支持を得たいという目的があるのかもしれない。ガザ攻撃に見られるように、戦争によって政治的権力の維持を図るネタニヤフ首相にとって、イランとの戦争は必要に思われているに違いない。
イランの保守系の新聞では、イランの外交施設が攻撃されたのだから、各国にあるイスラエルの外交関連施設を攻撃するのは、まったく正当であるという論調もあった。イランがアゼルバイジャンのイスラエル大使館を攻撃する可能性を「BBCモニタリング」は指摘したものの、イランにはアメリカやイスラエルとの通常戦争を戦う意図はないように見える。
昨年12月にイランのハメネイ最高指導者は、イラン革命防衛隊のムサビ上級顧問がイスラエル軍の攻撃を受けて亡くなったことを受けて、イスラエルに対する報復に許可を与えたが、実際にイランが報復することはなかった。
イスラエル社会ではピース・キャンプなど左派勢力は、ハマスによる10月7日の攻撃を受けて疎外されるようになり、イスラエル国内ではガザにおける3万3000人の犠牲やガザの人道状況が議論されることはほとんどない状態だ。イランとイスラエルの戦争を回避するにはイランの側の理性的対応が求められている。
イラク戦争前、2002年暮れにネタニヤフ首相は「ウォールストリート・ジャーナル」に寄稿し、「イスラエルの政治指導部はサダム・フセイン政権が核兵器を数カ月以内に保有するだろうという認識で一致している」と述べ、虚偽の主張を行った。イスラエルには、1981年にイラクのオシラク原子炉を空爆して破壊し、また1982年にレバノンに侵攻、PLO(パレスチナ解放機構)をベイルートからチュニジアに駆逐するなど軍事力で政治的現状をつくる傾向がある。
ネタニヤフ首相はイランに対する「予防戦争」をずっと提唱してきた。彼はこれまで30年近くの間、「イランが一年以内に核兵器を保有する」と主張し続けている。2015年3月3日、ネタニヤフ首相は米議会で演説し、「イランによる征服とテロを止めるために立ち上がらなくてはならない」と述べたこともあった。イラン核合意が成立する直前のことだった。イランが他国を征服する様子はまったく見られず、ネタニヤフ首相の発言は偏執病(パラノイア)的で、彼の異様な「強迫観念」を表していた。
イラク戦争の前にエドワード・サイードは「シャロン(イスラエル首相当時)とすればサウジアラビア、エジプト、ヨルダンを無力化しイラク攻撃を進めれば、アラブ世界を政治的に破壊してパレスチナ人を『終わり』にできる。ヨルダン川西岸、ガザ両地区にも入植し、パレスチナ人を追い出すかも知れない。」と語ったが、(「朝日新聞」2002年9月17日)イランを挑発し、米国を対イラン戦争に引きずり込もうとするネタニヤフ首相の姿勢もまたパレスチナ人を「終わり」にしたい意図の表れかもしれない。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?