オスロ合意から30年 ―歴史を抹殺したイスラエルとアメリカの帝国主義
1993年9月13日に成立したオスロ合意から30年が経った。アメリカもイスラエルもオスロ合意などなかったようにふるまっている。 パレスチナ系アメリカ人の文学者エドワード・サイードは、帝国主義(=アメリカ)の歴史観について次のように語っている。
帝国主義は、歴史を書き換え、過去を再編し、帝国主義はそれ自身の歴史を提示する。帝国主義の恐るべきことは、歴史を醜く、不具なものにし、最終的にはアメリカの都合のよい秩序をつくるために歴史を抹殺してしまうのである。
トランプ政権のパレスチナ政策はまさにサイードが指摘する通り、歴史を抹殺するかのように、エルサレムをイスラエル単独の首都とし、また1967年の第三次中東戦争によってイスラエルがシリアから占領するようになったゴラン高原にイスラエルの主権を認めた。
トランプ大統領の支持基盤であるキリスト教福音派は、パレスチナにユダヤ人が集まれば集まるほど、キリストの復活が早まり、人々に幸福をもたらす一千年王国を建設すると考えている。同様にトランプ大統領に心酔するオルタナ右翼はアラブ人に人種的偏見をもち、イスラエルを支持している。
サイードは、1993年のオスロ合意にも「パレスチナの降伏」「パレスチナのベルサイユ」と反対した。そこにはエルサレムの最終的地位の問題、難民の帰還、パレスチナ国家の問題に具体的に触れることがなく、パレスチナ人は自治を認められたにすぎない。オスロ合意もサイードにとってはパレスチナ人たちの歴史を「抹殺」するものだった。その結果、パレスチナではハマスなど急進的な傾向が生まれ、イスラエルやアメリカの利益と激しく衝突するようになる。アメリカ主導の和平交渉はイスラエルに安全保障を与えるものにすぎないとサイードは考えた。
2003年2月20日、ブッシュ政権がイラク戦争の準備を着々と進めていた時期にエドワード・サイードはカリフォルニア大学バークレー校で「米国、イスラム世界、パレスチナ問題(The United States, the Islamic World, and the Question of Palestine)と題する講演をした。パレスチナ人に対するイスラエルの不正義がなくならない限り中東には平和が訪れることはない、米国はイスラエルへの支持やイスラエルによる人権侵害を検討すべきだと説いた。
イスラエルは、拷問、暗殺、市民への軍事攻撃、領土併合、大量殺戮、通行の自由の禁止や妨害、医療支援の阻害、水の強奪などを行っているが、こうしたイスラエルの行為は米国の承認があって行われている。イスラエルを支持することによって、米国は国内のパレスチナ系市民に対しても人種的な不要な監視、拘束をしている。同様に、サイードはアラブ諸国政府のパレスチナ人に対する扱いにも非難の矛先を向け、40万人ものパレスチナ人が難民キャンプの外に移住することはできないなど人権が蹂躙されている。
サイードはかつてのヨーロッパ社会のユダヤ人に対する扱いに同情を示しつつも、しかし、過去の不正を考慮することは、イスラエルがパレスチナ人に対して行っていることを正当化するものではない。イスラエルのユダヤ人たちは建国以来、自らがかつてされた人権侵害をパレスチナ人たちに対して行っている。
1973年夏に、翌年参議院議員となる山口淑子氏はライラ・カリド氏にレバノン・ベイルートでインタビューした。ライラが「私たちはユダヤ人を憎んでいるわけではない。力ずくで私たちの国を奪おうとする行為に反対しているのです」と語ると、山口氏はハイジャックは非道な行為であるとは思いつつ、ライラの「イスラエルに奪われた故郷の上を飛びたかった」という言葉が、山口氏には日本人が中国東北部に「満州国」を建国した過去にダブって響いたという。
ライラ・ハリド氏は、山口氏に「私は日本人が平和を愛好する国民であり、すばらしい科学技術を持っていることは知っています。(中略)他の国の人の苦しみを感じとるのに、距離など問題ではないと思います。たとえば日本は国連などの場でもっと積極的にパレスチナ問題に取り組むべきだと思います」と語っている。(山口淑子『誰も書かなかったアラブ “ゲリラの民”の真実』より)
──もう自分ひとりの幸福を求める時代は終った。ほかの人が幸福でなくて、どうして自分が幸福になれるだろう。
──もう自分の国だけの平和を求める時代は終った。ほかの国が平和でなくて、どうして自分の国が平和であり得よう。 ―井上靖・硫黄島「鎮魂の丘」の碑文