求められるICC締約国の結束と、ノモンハン事件85年の教訓
ロシアのプーチン大統領がモンゴルを訪問したが、国際刑事裁判所(ICC)の締約国であるモンゴルはICCから逮捕状が出ているプーチン大統領を逮捕することがなかった。プーチン大統領はモンゴル訪問の前にモンゴル政府から逮捕しないという言質を得ていただろう。エネルギーをロシアに依存し、ロシアと国境を接するモンゴルにはロシアとの外交的トラブルはその安全保障にも重大な影響を及ぼすことになる。
ICCはイスラエルのネタニヤフ首相、ガラント国防相、ハマスのハニヤ最高幹部、ハマスのガザ地区最高幹部のスィンワル指導者、同様にハマス軍事部門トップのムハンマド・デイフ幹部にも逮捕状を請求している。このうち、ハニヤ氏とデイフ氏はイスラエルが既に殺害した。イスラエルとハマスの指導者たちには逮捕状が請求されている段階で、逮捕状が発行されたわけではないが、国際法の秩序を守るためにもガザ戦争に責任がある人たちにはICCによる逮捕や裁判にまで至ってほしいと思っている。ロシアだけでなく、米国もイスラエルの指導者たちに対する逮捕状の請求は「言語道断」とするなど大国が国連安保理と同様にICCによる国際的秩序を骨抜きにしようとしている。ICCへの最大の分担金拠出国の日本には他の締約国とともに、国際法違反の行為をけん制するためにも締約国の結束を強調することがあってもよいと思うが、日本政府は米国との同盟関係への配慮からイスラエルに正論でもって批判することがほとんどない。
モンゴルを訪問したプーチン大統領はノモンハン事件勝利85周年をモンゴルとともに祝い、日本をけん制し、ロシアの威信を内外に訴える目的があった。
田中角栄元首相は1939年4月から満州国富錦(ふきん)市で兵役について騎兵隊に配属され、古兵の制裁に遭ったりしていたが、その古兵たちがノモンハン事件(1939年5月~9月)で多数が戦没すると戦争の怖さを実感した。田中氏は「戦争を知らないやつが出てきて日本の中核になったとき、怖いなあ」と折に触れ語っていた。
関東軍が傀儡国家の満州国とソ連との国境を画定しようとして起こったノモンハン事件では8000人前後の日本兵が戦死し、「陸軍始まって以来の大敗戦、国軍未曽有の不祥事」とも形容されて自決を強いられて亡くなった部隊指揮官もいるなど日本陸軍の不合理な体質を如実に表した戦争でもあった。ソ連軍の軍事的脅威に接した日本ではソ連を敵としない「南進論」が台頭するようになり、日本の東南アジア進出を警戒する米国との対立を招き、ノモンハン事件は無謀な戦争に日本を向かわせる契機ともなった。
昨年作られたユーチューブでノモンハン事件を戦った106歳の体験談や、元兵士のノモンハン事件を戦った記憶が紹介されている。いずれもソ連軍の圧倒的軍事力の恐怖が語られている。(ユーチューブのアドレスは
https://www.youtube.com/watch?v=sh6sQxYTQG0 )
日本の「五族共和」のスローガンの下に成立した満洲国の軍隊にはに強い規律や統制がなく、ノモンハン事件で満洲国軍は壊滅する。ノモンハン事件ではモンゴル人たちは日ソ双方の軍隊に分かれて戦った。ソ連軍の満州国進駐に際して日本の関東軍はモンゴル人たちを最前線に「弾除け」として送るが、日本で軍事教育を受けたモンゴル人将校で、日本の支援を得てモンゴル独立を夢見ていたジョンジュルジャブは満洲国軍の日本人38人を殺害して2000人の部下とともにソ連軍に投降する。日本が敗戦すると、関東軍は満州にいた150万人の日本人の命を守ることがなく、日本人開拓団は置き去りにされ、現地住民たちの激しい報復を受け、「開拓団が死を免れることは難しかった」と現地住民から言われるほどだった。
ノモンハン事件をも描く五味川純平(1916~95年)の小説「戦争と人間」では伍代財閥は関東軍の強硬派と結託し、アヘンの密売などにも手を染めながら戦争によって莫大な利益を上げようとする。日本の昭和初期の膨張政策のからくりを示すような作品だった。伍代財閥のモデルは、日産コンツェルンの鮎川義介が満洲に創設した「満洲重工業開発株式会社(通称・満業)」とも言われ、五味川純平もこの満業傘下の昭和製鋼所に勤務していた。
戦争で利益を上げる財閥というのは現在ウクライナに侵攻するロシアのオリガルヒ(新興財閥)や、米国やイスラエルの軍需産業をも彷彿させるが、戦争は「自由」「民主主義」などの錦の御旗を掲げながら戦われる。しかし、その背景には戦争で巨利を上げる大企業の活動がある。日本の防衛費は突出して増えるようになっているが、多くの国民はこうしたからくりに気づいていないだろう。戦争と結びつく企業で働いていた五味川純平は「戦争と人間」で戦争が起こる構造について警鐘を鳴らしたかったに違いない。