「アメイジング・グレイス」(驚くほどの神の恵み)は普遍的な宗教概念
ハリール・ジブラーン(1883~1933年)は、オスマン帝国山岳レバノン直轄県出身の詩人、画家、彫刻家で、主にアメリカで活動した。ジブラーンの作品はケネディ大統領、ビートルズ、インディラ・ガンディー、さらにユセフ・ラティーフなどアメリカのジャズ・ミュージシャンなどに影響を与えた。彼の作品の『預言者』は1930年代に人気を集め、また1960年代の既存の文化や体制を否定するカウンター・カルチャーの時代に再びその人気のピークを迎えた。
わたしは自然が語ることば、
それを自然はとりもどし
その胸のうちにかくし
もう一度語り直す。
わたしは青空から落ちた星、
みどりのじゅうたんの上に落ちた星。
わたしは大気の力の生んだ娘、
冬には連れ去られ
春には生まれ
夏には育てられる。
そして秋はわたしを休ませてくれる。
―ハリール・ジブラーン「花のうた」神谷美恵子訳『ハリール・ジブラーンの詩 』(角川文庫) より抜粋
ムスリムのジャズ・ミュージシャンのユセフ・ラティーフは、ジョン・コルトレーンにクルアーン(コーラン)やハリール・ジブラーンの作品、ジッドゥ・クリシュナムルティ(インド生まれの宗教的哲人:1895~1986年)の著作を読むように提案した。
ユセフ・ラティーフは、ジョン・コルトレーンが詩に用いた“gracious and merciful”という言葉は、コーランに見られる「ラフマーン」と「ラティーフ」と同義だと説明している。「ラフマーン」と「ラティーフ」はともに慈悲・慈愛を表す神の美称であり、前者は一般的な慈愛、世界と人類を創造した慈愛を意味するのに対して、後者は信徒に特定したもので、現世で導き、来世で救済する慈悲と考えられている。(『岩波イスラーム辞典』)
ジョン・コルトレーンの楽曲「至上の愛(A Love Supreme)は、クルアーンやキリスト教精神の融合の表出ともされている。「至上の愛」でピアノを担当したマッコイ・タイナーは1950年代にイスラムに改宗して、スレイマン・サウードというムスリム名をもっている。
日本でも本田美奈子の歌唱などで知られる「アメイジング・グレイス」の歌詞は下の通りだが、この歌の作詞者のジョン・ニュートン(1725~1807年)はイギリス、アメリカ、アフリカを行き来する奴隷貿易に携わっていたが、イギリスへの帰国途中で乗船していたグレイハウンド号が嵐に遭遇したが、船荷が運よく船倉に空いた穴をふさいで奇跡的に助かった。彼はこれを神の恩寵と感謝し、その感謝と奴隷貿易への悔恨を「アメイジング・グレイス」の歌詞に表現した。
Amazing Grace how sweet the sound
That saved a wretch like me
I once was lost but now I’m found
was blind but now I see
驚くほどの神の恵み、何と甘美な響きだろう
私のような恥ずべき人間も救われた
かつては道を踏み外していたが、いま救い出された
かつては盲(めしい)だったが、今は見えるようになった
「神の愛」は、特に一神教のイスラムやユダヤ教でも強調される宗教の根幹にある概念だ。アンダルスのイスラム神秘主義思想家、詩人のイブン・アラビー(1165~1240年)は暴力に対する神の戒めをユダヤの王ダヴィデを引き合いに次のように表現している。
ダヴィデは神殿の建築にとりかかったけれども、
神殿は常に倒壊し、決して完成されることはなかった。
ダヴィデが神に訴えた時、神は次のような啓示をダヴィデに下した。
「私の神殿は血を流した者の手によっては建てられない。」
ダヴィデが、「しかし、私はあなたの為に殺したのです。」と言うと、
神は、「確かにその通りだ。しかし殺された者たちも、また私の僕ではなかったのか。」とお答えになった。
(竹下政孝「スーフィズムと人間の尊厳性」より)
イスラエルによるガザ攻撃、レバノンのイラン大使館関連施設の空爆などは神の恩寵を受けることは決してなく、神は厳に戒めているに違いない。