イスラム・ユダヤ・キリスト教の共存を確認する冬至
朝なり 幸運なる足の偶像よ
琴ならせ 酒を持て
十万の帝王土に帰し
ここに春の月は来たり 冬の月は去る (オマル・ハイヤーム『ルバイヤート』)
イランやアフガニスタン、タジキスタンなどペルシャ文化圏では「ヤルダー」、あるいは「シャベ・ヤルダー」と呼ばれる冬至を祝う儀式がある。ヤルダーの行事は古代から始まり、光の暗黒に対する勝利を表わし、アーリア人の光明神ミトラの誕生を祝う。家族はザクロやナッツとともにヤルダーを祝う。ヤルダーとは、誕生、生まれることを意味し、1年で最も長い夜のことをいい、邪悪や災難から人を遠ざける。冬至が過ぎれば、生命に息吹を与える太陽の出ている時間が次第に長くなることを喜ぶ。太陽は生きることの喜び、平和や友好を感じさせてくれるものと考えられた。光に希望を見出すのは紀元前1000年頃、イラン高原で成立されたとするゾロアスター教の教義も同様で、ゾロアスター教では光は善を表す。
ブリタニカ国際大百科事典(英語版)の説明によれば、ローマ帝国領で活動していた著述家のセクトゥス・ユリウス・アフリカヌスが、221年に12月25日をキリストの誕生日にしたとか、またローマ帝国で太陽の復活日として広く祝われていた「dies natalis solis invicti (不滅の太陽の誕生日)」をキリスト教化したことがクリスマスの起源という説もある。つまりクリスマスの起源も冬至とは無関係ではない。
ユダヤ教の「ハヌカー」も「光明祭」という祭日で、ユダヤ暦の毎年9月25日から10月2日におこなわれる盛大な冬祭りのことだ。年によっては日本の冬至の日に重なる場合もある(2019年など)。エルサレムのユダヤ教の神殿を奪い返したことを祝うもので、神殿を奪い返した当初、メノーラー(燭台)のろうそくを燃やし続けるために必要な純粋な聖油が不足していたものの、伝承によると奇跡のおかげでわずかな聖油でろうそくの火は8日間、燃え続けた。そのエピソードから8日間の祝祭が行われる。光を強調するところはやはりゾロアスター教の影響なのかもしれない。
中世ユダヤ教世界を代表する哲学者、医師、法学者のイブン・マイムーン(1135~1204年、ヘブライ語名:モシェ・マイモニデス)は、イスラムとユダヤ教は慈愛や正義という点で共通の考えをもち、両者による対話は対立や軋轢をなくし、イスラムとユダヤ教は共存していくことができると説いた。イベリア半島や後に移住することになる北アフリカのカイロでアラブ・イスラムやギリシアの思想に触れることによって、ユダヤ教世界で最も寛容とも形容される宗教指導者となった。神の預言はユダヤ教だけにとどまるものではなく、神の真理に至る道、神への責任の取り方の相違がそれぞれの宗教にはあるとマイムーンは説いた。
イギリスの委任統治支配が始まる頃、クリスチャン人口は、パレスチナ・アラブ人のおよそ5分の1いたと見積もられていた。キリスト教文化は、パレスチナ人たちの民族アイデンティティーを構成する重要な要素でもあったが、イスラエル支配を嫌い、多くのパレスチナ・クリスチャンたちは海外に移住し、現在ガザには直前に述べた通り1000人のクリスチャンたちがいるにすぎない。そのうちの4分の3が正教徒で、4分の1がカトリックだ。
クリスマスは、キリストの誕生日だが、イエス・キリストはイスラムの聖典『クルアーン(コーラン)』に「イーサー」という名前で登場するイスラムの預言者の一人でもあり、本来はイスラムでも高い尊敬を受ける人物である(イエスの神性はイスラムでは認められない)。クルアーンの中にはイエスが処女マルヤム(マリア)から生まれ、救世主であること、死者を蘇らせるなどの奇蹟を行ったことなどが記されている。ムスリムの男子名の中にも「イーサー」はある。
「疲労やわびしさ、悲哀など吹き飛ばすのだ。どんなに大きな困難があっても、心軽やかに立ち向かう人が勝利者となるのだ」「煙が帳となって道をさえぎっているのは、もう近くに、たき火がある証拠である。そのように、暗闇の後には、必ずや輝ける光が訪れる。君よ、それを信じるのだ。そして不動であれ」 ―アリシエール・ナヴァーイー(ウズベキスタンの詩人)