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大英帝国勲章辞退の理由-イギリス帝国主義の負の遺産

 イギリスの音楽家で、演劇アーティストでもあるスーザン・モファット氏は、英国の植民地時代の負の遺産と、ガザ戦争に対するイギリスの対応を理由に授与されることになっていた大英帝国勲章を辞退した。イギリスの帝国主義の過去と結びついた栄誉を受けることの妥当性を疑問視したのだという。

 イギリスでは昨年7月に14年ぶりの労働党政権が誕生したが、新政権はガザの停戦と人道状況の改善を求めたが、イスラエルの軍事行動を直接非難することはない。選挙前の発言で、労働党のキール・スターマー首相は、イスラエルにはガザへの電気、水、燃料を遮断する権利があると述べた。イスラエルとの武器輸出許可350件のうち30件だけを停止したイギリス政府はイスラエルの戦争犯罪に加担する国、国際人道法に違反するという非難を特にアラブ・イスラム世界から浴び続けている。

1920年代の大英帝国 https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Map_of_the_British_Empire_in_the_1920%27s.png


 モファット氏は「我々(イギリス)は国際法を遵守し、イスラエルによる学校や病院への爆撃を止めるべきだった。封鎖を終わらせ、外交的影響力を使ってイスラエル軍が民間人を標的にしないようにすべきだった。違法な入植地建設をもっと強く非難し、民間インフラを標的にすることに対して断固たる姿勢を取り、我々が国家として真に不正に反対する姿勢を示すべきだった。」と述べた。彼女は「イギリス政府は道徳的役割を果たせなかった」とも述べ、「もし我が国が、政治的便宜よりも人道的配慮を優先し、民間人の犠牲に断固として反対し、平和と正義を真に訴える勇気を示していたなら、私はこの栄誉を受けることを再考しただろう」と強調した。

イギリスの矛盾外交 https://x.com/551_confucius/status/1719922833982464224


 モファットと同様に大英帝国勲章を辞退した人物にビートルズのジョン・レノンがいる。レノンは1969年に勲章を返上したが、それに添えたエリザベス女王への手紙には「ナイジェリア・ビアフラ紛争にイギリスが関わっていること、また米国のベトナム戦争をイギリスが支援していることを理由に挙げた。その勲章の返上に影響を与えたのは、イギリスの哲学者のバートランド・ラッセル(1872~1970年)だった。ラッセルはジョンとヨーコにベトナムとビアフラでの戦争に反対することを勧めたが、それが大英帝国勲章の返還や、1969年6月と9月に行われた彼らの「平和のためのベッドイン」ともなった。ラッセルと面談したポール・マッカートニーは「米国が自国の既得権のためだけに戦っている帝国主義的な戦争だということを教えてもらった。この戦争には反対すべきだと。それだけ聞けば十分だった。偉大なる哲学者の口から、直接、聞いたんだから。」と語った。ラッセルにとって米国のベトナム戦争はかつてのイギリスによる領土獲得のための帝国主義戦争を彷彿させたに違いない。

大英帝国勲章を手にするビートルズ 1965年 https://www.radiox.co.uk/artists/beatles/why-john-lennon-returned-his-mbe-1969/



 ラッセルはイスラエルの流儀がイギリスなどのヨーロッパ帝国主義に倣うものだと非難した。1970年1月31日付声明で「イスラエルは過去20年間武力で拡張を続け、侵略のたびに『理性』に訴え、『交渉』を提案してきた。しかし、これは伝統的な帝国主義の流儀であり、新たな征服は力に基づく新たな交渉を呼びかけることになり、侵略が行われたという不正義を忘れさせることになっている。」とラッセルは述べている。

 1917年11月2日、イギリス外相のアーサー・バルフォアは、イギリスのシオニスト(ユダヤ人の国家をパレスチナに創設するという考えをもつ人々)代表のウォルター・ロスチャイルドに宛てた書簡の中で、「ユダヤ人の民族郷土をパレスチナに建設することに賛成し、この目的促進のために最大限の努力をする」という宣言を行った(バルフォア宣言)。

バルフォア宣言 https://c4israel.com.au/articles/centenary-of-the-mandate-for-palestine-part-1-the-balfour-declaration/


 この宣言を承認したのはイギリスの軍事閣僚会議で、その目的はシオニズムを支援するというよりも、イギリスの戦争努力にユダヤ人を利用することが目的であった(ユージン・ローガン・白須英子訳『オスマン帝国の崩壊』白水社)。

https://x.com/hakusuisha/status/914754500157521925


 イギリスには植民地インドに至る戦略的重要性をもつスエズ運河の北の領域をアラブ人より信頼のおけるユダヤ人に任せようとする意図があった。
 第二次世界大戦が始まると、シオニスト(パレスチナにユダヤ人国家をつくろうとする人々)はナチス政権の迫害を受けるユダヤ人のパレスチナへの移住を促進しようとしたが、イギリスはその努力を支持することなく、むしろ妨害し、移住を厳格に制限した。第二次世界大戦中、パレスチナのユダヤ人たちは、イギリスの冷淡な姿勢にもかかわらず、イギリスの戦争努力に協力した。1944年9月には27、000人のユダヤ人部隊が創設された。パレスチナのユダヤ人による産業も発達し、この時期、ユダヤ人たちはイギリス軍のために対戦車地雷も製造するようにもなった。アラブ人たちもおよそ23、000人がアラブ軍団としてイギリス軍に登録し、イギリスはその戦争努力のためにパレスチナの人々をアラブ、ユダヤに関わりなく利用していった。

https://y-sapix.net/n/nbc7b3b4a91bc?gs=b0499d52d8c5


 イギリスがもしパレスチナ問題に道義的責任を真摯に感じるならば、モファット氏が言うように、イスラエルのガザ攻撃停止を本気で呼びかけ、イスラエルへの武器供与を完全に止め、またイスラエルの戦争犯罪を厳しく追及し、パレスチナ・イスラエル二国家共存を強く呼びかけ、ガザの復興にも真摯に取り組むべきであることは言うまでもない。

表紙の画像は大英帝国勲章を辞退したスーザン・モファット氏

https://www.middleeastmonitor.com/20250109-british-artist-rejects-obe-citing-gaza-horror-and-colonial-legacy/


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