見出し画像

ネタニヤフは「イスラエル史上最悪の首相」 ―ベニー・モリス(イスラエルの歴史家)のネタニヤフ批判

 イスラエルの歴史家ベニー・モリスは、24年8月23日付のイスラエルのリベラル系「ハアレツ」の記事の中でネタニヤフ首相は「イスラエル史上最悪の首相」として表現されることは間違いないと述べている。

西側が支持する国の首相として初めて国際刑事裁判所から逮捕状を発行されたネタニヤフ https://www.aljazeera.com/gallery/2024/12/4/netanyahu-the-icc-the-new-world-disorder


 ガザ戦争では、近代的装備を誇るイスラエル軍は50万人もの兵力を擁しながらも主にアサルトライフル、PRGランチャー、対戦車ミサイルで装備した30、000人の戦闘員からなる「テロ組織」を、狭い地域で根絶することに成功しなかったことをモリスは強調した。

 ネタニヤフ自身はイギリスの政治家チャーチルと比較されることを好むが、ベニー・モリスはナチスの脅威に対して自国民を団結させることができたチャーチルに対して、ネタニヤフはイスラエルが直面する脅威の特定に失敗し、イスラエルの民主制度や人質の解放などをめぐってイスラエルを徹底的に分裂させた政治家であると主張する。

ネタニヤフはパレスチナ人を「叩きのめしてしまえ」しか言わない https://www.palestineadvocacyproject.org/quotes/


 チャーチルは機知に富んだ人物だったが、ネタニヤフは自分自身も笑ったことがなく、人を笑わせたこともない。ネタニヤフは、過去30年ぐらいの間、パレスチナ人との和平の可能性を全て拒絶し、ヨルダン川西岸地区やガザに対するイスラエルの支配を強化することによって、アラブ住民への虐待と抑圧を日常的に行い、イスラエルと自由世界の指導者との間の特別な関係を壊した。彼は西側の多くの人々の間でイスラエルに対する敵意や嫌悪を生み出し、イスラエルへの敵意は、23年10月7日の後に特に増大するようになり、イスラエルと米国民との間の亀裂は広まり、特に米国の15歳から45歳の年齢層のユダヤ人の間でイスラエルに対する嫌悪が増幅しているように見える。

ネタニヤフはICC(国際刑事裁判所)を反セム主義と告発 赤根智子所長が反セム主義とはとても思えない https://www.france24.com/en/video/20241122-israel-s-netanyahu-accuses-icc-of-antisemitism-after-it-issued-an-arrest-warrant-for-both-him-and-yoav-gallant


 また、モリスはチャーチルとは対照的に、ネタニヤフは、ユダヤや世界の歴史で記憶されるような声明やフレーズを生み出しただろうかとも述べている。つまり、ネタニヤフにはチャーチルのような「名言」らしきものがまるでないとモリスは語る。

パレスチナの民族的象徴 スイカ https://www.active-star.co.uk/products/watermelon-map


 以上がモリスのネタニヤフ評だが、ネタニヤフは、2023年10月7日のハマスの奇襲攻撃を受けてハマスを壊滅させ、「完全な勝利まで軍事的圧力を継続する」ことだけがイスラエル人人質全員の解放につながると国民に約束した。ガザ戦争の期間中、ネタニヤフはハマス、イスラム聖戦、その他のあらゆる武装組織を「打ち負かし、粉砕し、破壊し、絶滅させ、終結させ、解体する」という意図を繰り返し発言し、イスラエルの敵は最終的には降伏するだろうと国民に約束した。

スイカとパレスチナの少年 https://www.vecteezy.com/photo/33841030-palestinian-children-carry-watermelons-as-a-symbol-of-freedom


 しかし、15カ月間にわたってガザを攻撃し続けたものの、ネタニヤフ首相はイスラエル人人質の解放についてはハマスの前向きな返答を待っていると語り、人質の解放は武力によるどころか、結局はハマス頼みとなり、カタールで最終的にイスラエル・ハマスの間で調印された停戦合意は、バイデン米大統領がその数カ月前の2024年5月に提案したもので、ハマスはその際に受け入れたが、ネタニヤフ首相は拒否した停戦案で、人質や人質の家族が大いにいら立っていたことは疑いがない。

 ガザ戦争の最中、ネタニヤフ首相はハマスを解体するだけでなく、ハマスをガザにおける将来的ないかなる役割からも排除すると訴え続けた。当初は無差別爆撃によってパレスチナ人をシナイ半島へ大量避難または追放しようとした。しかし、イスラエルは、エジプトやその他の国にパレスチナ人を受け入れてもらうことはできなかった。

ベニー・モリスの著書


 米国のトランプ大統領は選挙運動中、ネタニヤフ首相に対し、ハマスを壊滅させて戦争を終わらせることで「仕事を終わらせる」ようしきりに促した。トランプ大統領が新たに任命した中東特使のスティーブ・ウィトコフ氏は、合意を成立させるためにネタニヤフ首相に強い圧力をかけた。トランプ就任直前に成立した停戦合意は、ネタニヤフ首相の同盟者であり過激派閣僚であるイスラエルのイタマル・ベングビール元国家治安相も認めているように、ネタニヤフ首相が何度も拒否してきた合意と本質的に同じであり、ネタニヤフ首相はトランプ就任前にハマスとの停戦合意を受け入れざるを得なかった。ガザ戦争は明らかにイスラエルにとって失敗した戦争であり、その責任の大半は自称「チャーチル」のネタニヤフにあった。

解放されたイスラエル軍女性兵士


 ガザ地区で不安定な停戦が成立してからわずか2日後の25年1月21日、イスラエルはヨルダン川西岸地区のジェニン難民キャンプへの大規模な侵攻を開始した。この攻撃は、ネタニヤフ首相が、ガザ停戦に反対する彼の政権内部の極右メンバーをなだめるためのものであった。1967年の第三次中東戦争でイスラエルがジェニンを占領して以来ジェニンでは土地の接収、強制立ち退き、移動制限など、組織的な抑圧が行われてきた。ジェニン難民キャンプでの抵抗は、イスラエルの占領に対する何十年にもわたる抵抗と反抗の上に築かれていて、ジェニンの住民を軍事力で屈服させることはガザと同様に不可能に近い。ガザと同じ失敗をベニー・モリスが「イスラエル史上最低の首相」と形容するネタニヤフはまた繰り返そうとしている。


いいなと思ったら応援しよう!