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悪党どもは子供たちを殺した ―ネルーダの怒りとウクライナ戦争
ある朝 まっ赤な火が
大地から吹き出して
すべてのものを なめつくした
そのときから 戦火が燃えあがり
そのときから 硝煙がたちこめ
そのときから 血が流れた
悪党どもは空の高みからやってきて
子供たちを殺した
街じゅうに 子供たちの血が
子供の血として素朴に流れた
来て見てくれ 街街に流れている血を
(「そのわけを話そう」パブロ・ネルーダ詩集『心のなかのスペイン』)
この詩は外交官としてスペイン内戦を目の当たりにしたパブロ・ネルーダ(1904~73年)がファシズムに対する怒りを込めて書き上げたものだ。理不尽なロシアの侵攻の犠牲になるウクライナの子供たちの姿と重なる。
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ロシアによるウクライナ侵攻が不合理、理不尽なことは数々の国際法が示すところだ。
この100年の間、国際社会は国際論争の武力による決着を禁じる試みを行ってきた。言うまでもなく、そこには戦争の惨禍を経てきたという苦渋の歴史が背景にある。20世紀になって武力による国際問題の決着を国際法で禁じたのは、まず1928年のパリ不戦条約(ケロッグ・ブリアン協定)だった。これは、日本を含む当時の列強諸国15カ国間で締結され、第1条において、国際紛争解決のための戦争の否定と国家の政策の手段としての戦争の放棄を宣言していた。
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1949年のジュネーブ協定、特に1949年8月12日の条項は、戦時における文民の保護に関するもので、具体的に戦争中の文民に対する人権侵害の禁止について規定している。また、国連憲章第1章第2条には「すべての加盟国は、その国際関係において、武力による威嚇又は武力の行使を、いかなる国の領土保全又は政治的独立に対するものも、また、国際連合の目的と両立しない他のいかなる方法によるものも慎まなければならない。」とある。
ある日 人類の夢で
胸おどらせながら
たくましい使者がやってきた
おれの飢えた夜のなかに──
そっと忍び足で歩くおれの狼の足どりを
人間の足どりにあわせるようにと (ネルーダ「新しい旗のもとに立つ」)
国連はネルーダが表現する「たくましい使者」のようだが、2月23日、国連総会はロシアのウクライナ侵攻1年になるのに合わせて開催された緊急特別会合で、侵攻を非難する決議案を圧倒的多数で採択した。武力行使が容認されるのは自衛のためだけだが、ウクライナがロシアにとって軍事的脅威となったり、あるいはプーチン大統領が言うように、ウクライナ東部の住民たちの生命が脅かされたとしても、それがウクライナ全土に対する侵略を正当化することにならない。
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国際社会がロシアを非難するのは当然だが、ウクライナ問題に関する国際社会の声と、パレスチナ問題では「二重基準」があるように思われてしかたない。ロシアと同様に国際法を破るイスラエルと戦う義勇兵については従来どこの欧米諸国からも支持の声が聞かれてこなかった。国際法違反について公平な対応が行われなければ、国際法の権威が低下することは言うまでもない。
ウクライナの子供から涙がこぼれる
https://www.rferl.org/.../russia-ukraine.../31726179.html