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葉が樹から落ちるように,鮭が川を遡るように

なぜ,人は紅葉を見て美しいと思うのかを考えてみたことがありますか。

赤に黄に色づく葉がカラフルで鮮やかだからですか。

僕はきっとそれだけではないのだと思います。

葉が赤や黄色に色づくのは,葉を落とすためです。

やがてすべての葉が落ち,樹はまるで枯れたようになります。

紅葉が全ての樹が枯れる時の合図だったらどうでしょう。

今のように美しいと思うのでしょうか。

全ての終焉の刹那の輝きに目を奪われても,次の瞬間多くのいのちが無くなってしまうなら,哀しさが目に浮かぶでしょう。

僕は,人が紅葉を美しいと思うのは

「やがて春になれば芽が出て,新しい葉が生えてくることを知っているから」

だと思います。

いのちがめぐりまた暖かな季節を迎えるための必然ならば,僕たちは美しいと思えるのです。

同じように,鮭が川を遡る姿はどうでしょう。

流れる川を逆流し,必死に泳ぎ死んでいく姿はその姿だけを見れば一見ムダで滑稽に見えます。

しかし誰もそれをムダなことだとは思わないでしょう。

川の流れを見れば反発しているように見えますが,もっと大きな時空の流れを見てみれば

鮭が流れを逆流し川を遡ることは,次の世代へつなぐためのいのちの輝きです

全ては必要のためにあり,次世代へ何かをつなぐためには鮭が川を遡るようにいのちをかけて臨まなければならない

葉が色づいて落ちていくのも,鮭がそのいのちを終えるのも

一見かなしい出来事ですが,それは必要なことなのです

その先には,繁栄があります。

次世代へいのちの襷をつなぐためには,同じようにいのちをかけて臨まなければならない。

きっと僕らのご先祖様がそうしてきたように。


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